2023年2月20日月曜日

マルコの福音書9.1-13

 イエス様を信じる人たちの中にはいろんなタイプの人がいます。「イエス様はどんな方か?」という質問に対しても、いろんな答えがあります。ざっくりと2種類に分けるなら以下の2つのイメージです


イエス様とは…
(A)十字架で苦しむ方、謙遜な方、仕える方、しもべなど。低いイメージ。
(B)勝利者、栄光の王、支配者、英雄、など。高いイメージ。

もちろん両方とも聖書が教えるイエス様のご性格です
使徒ペテロは最初、完全に(B)の「英雄、勝利者」イメージだけだったようです。イエス様は弟子たちに「苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、殺され、三日の後によみがえらなければならない」と教えられました。(マルコ8.31) それを聞いたペテロは「そんなことが、あなたに起こるはずはありません。」とイエス様をいさめました。(マタイ16.22)

イエス様は十字架で苦しみを受け、僕らの罪と呪いを全て引き受け、神に捨てられる側に来てくださった方です。その意味では(A)です。そして、イエス様を信じ従う人もまた、イエス様と一緒に自分を神様に明け渡し、苦しみも共にすることを教えてくださり、こう言われました。

(マルコ 8:34-35) 
「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしと福音とのためにいのちを失う者はそれを救うのです

でも、(A)の受難のしもべ、の面はイエス様の半分の面ですイエス様はそれで終わる方ではありません。この世界を作り、支配し、すべての栄光と権力を持ってられる神ご自身です。(B)の栄光の姿はイエス様の本来の姿ですイエス様は弟子たちに受難と死を受けることを告げられた後、逆の面、つまり(B)の神の国の栄光と力の面ををはっきりとペテロとヤコブとヨハネだけに見せてくださいました。

2 それから六日たって、イエスは、ペテロとヤコブとヨハネだけを連れて、高い山に導いて行かれた。そして彼らの目の前で御姿が変わった。
3 その御衣は、非常に白く光り、世のさらし屋では、とてもできないほどの白さであった。
4 また、エリヤが、モーセとともに現われ、彼らはイエスと語り合っていた。

現れた「エリヤ」とは旧約時代に用いられた預言者です彼は死を味わうことなく天に移されました。預言者エリヤが今も生きて栄光の姿でイエスキリストと交わっていることをペテロははっきり見ることができました。また「モーセ」とは、旧約時代に神様からの律法を預かった指導者です彼は死にましたが復活して栄光の中にいることが示されました。

弟子たちはあまりの栄光に圧倒されて恐怖に打たれてしまいました
その時、天の神様からの声が聞こえます。

7 そのとき雲がわき起こってその人々をおおい、雲の中から、「これは(イエスキリストは)、わたし(神様)の愛する子である。彼の言うことを聞きなさい。」という声がした。

イエス様はこの後、苦しみを受け、殺されます。
それでも、イエス様は神様に愛されている神の子です。しかも、その栄光は僕らの想像をはるかに超えています。神様は「彼の言うことを聞きなさい」とペテロに言われ、そして現代の僕らにも言っておられます。

預言者エリヤは苦しみの人でした。モーセも苦しみの人生でした。
また、エリヤの霊と言われるバプテスマのヨハネも苦しめられ、首をはねられて殺されました。しかし、彼らは圧倒的な栄光の中を生きています。イエス様はそのことを、弟子たちに見せてくださいました。

8 彼らが急いであたりを見回すと、自分たちといっしょにいるのはイエスだけで、そこにはもはやだれも見えなかった。
9 さて、山を降りながら、イエスは彼らに、人の子(イエス様)が死人の中からよみがえるときまでは、いま見たことをだれにも話してはならない、と特に命じられた。

僕らの人生にも苦しみがあります。イエス様を信じるゆえの迫害もあります。
でも、それで終わることはありません。イエス様に従うことは、圧倒的な天の王様に従うことです
イエス様に従う人は、イエス様と一緒に圧倒的な栄光に入れられます。

(ローマ 8:18) 
今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。

今日、苦しみの中にいる人は栄光と勝利の希望をもちましょう。また、この世で順調な人はキリストと一緒に苦しみにも参加することを思い出しましょう。
イエス様は僕らの想像をはるかに超えています。僕らの小さいイメージに入る方ではありません。イエス様は大きすぎます。ハレルヤ!

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