2024年1月5日金曜日

マタイ4.12-25

 マタイ4.12-25


漁師が魚を網で引き上げます。魚は引き上げられ食べられてしまうけども、神様の漁は反対です。神様は人間を引き上げ、いのちの光のもとに連れ出し、生かし、愛し、癒そうとしています。



(16節から17節)

16,闇の中に住んでいた民は大きな光を見る。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が昇る。」

17,この時からイエスは宣教を開始し、「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから」と言われた。



イエス様の「悔い改めなさい」とは「後悔しなさい」ではなくて、いのちの光のところに戻りなさい、です。自分の力や知恵で頑張って生きようとすることはやめて、いのちの光と癒しがあるイエス様のところに行くことです。

漁では逃げる魚もたくさんいます。同じようにイエス様の光を恐れ、光から逃げ、闇の中にいたがる人もいます。



(ヨハネ3章19節から20節)

19そのさばきとは、光が世に来ているのに、自分の行いが悪いために、人々が光よりも闇を愛したことである。

20悪を行う者はみな、光を憎み、その行いが明るみに出されることを恐れて、光の方に来ない。



人々を光のもとに引き上げて癒やす仕事を、イエス様は僕らと一緒にやりたいと願っています。僕らの新しい仕事はこれです。闇の中にいる人たちを光のもとに引き上げることです。自分で頑張って人を癒そうとしたり生かそうしたりしなくても大丈夫です。全ての権威はイエス様が持っておられます。イエス様に従ってイエス様の光を伝えて愛するだけです。僕らの力ではありません。誰が引き上げられ、誰が逃げて闇の中にとどまるか、人にはわかりません。


この当時、リアルに漁師だったペテロもアンデレもヤコブもヨハネも、それまでの漁師としての経験も財産である網や船も手放してイエス様と一緒に人を引き人を引き上げる仕事をすることにしました。どんなことよりも価値がある、と思ったからです。



(18節から22節)

18,イエスはガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、二人の兄弟、ペテロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレが、湖で網を打っているのをご覧になった。彼らは漁師であった。

19,イエスは彼らに言われた。「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう。」

20,彼らはすぐに網を捨ててイエスに従った。

21,イエスはそこから進んで行き、別の二人の兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、父ゼベダイと一緒に舟の中で網を繕っているのを見ると、二人をお呼びになった。

22,彼らはすぐに舟と父親を残してイエスに従った。



イエス様に従った弟子たちはまるで大漁のように人々が癒されていく光景を目にします。光のもとに引き上げられた人々は、癒され、新しくされます。



(23節から25節)

23,イエスはガリラヤ全域を巡って会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、民の中のあらゆる病、あらゆるわずらいを癒やされた。

24,イエスの評判はシリア全域に広まった。それで人々は様々な病や痛みに苦しむ人、悪霊につかれた人、てんかんの人、中風の人など病人たちをみな、みもとに連れて来た。イエスは彼らを癒やされた。

25,こうして大勢の群衆が、ガリラヤ、デカポリス、エルサレム、ユダヤ、およびヨルダンの川向こうから来て、イエスに従った。



僕たちも漁師です。イエス様と一緒に闇の世界に出ていき、人々をいのちの光のもとに引き上げます。どこにいても、僕らの本当の就職先はイエス様の会社です。人が生かされ、人が癒される仕事です。イエス様がそうさせてくださいます。今日もイエス様と一緒に漁に行きましょう。大漁でも、ダメな日があっても安心です。イエス様が僕らの親方です。大丈夫です!




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