2024年1月8日月曜日

マタイ5.17-32

 マタイ5.17-32


神様の律法は完璧すぎて、「これは無理だよね。僕ら罪人だから」と言いたくなります。ところがイエス様はムリ、で終わらせる方ではありません。もちろん、幸いな人は心の貧しさ、みじめさ、足りなさい、罪深さを知る人です。(マタイ5.3-6)律法は僕らをキリストの憐れみに導いてくれます。(ガラテヤ3.24)


確かに僕らにはできません。ですが、それを認めて、罪を悲しむ人には必ず与えられます。「心の貧しい人は幸いです」だけで終わりではありません。(マタイ5.3)天の御国(支配、王国)はその人のものだし、義(正しいこと)は満ち足ります。(マタイ5.6)必ず神様の御心は実現します。僕らの人格も生き方も、神様の願った通りに変えられていきます。



(17-19節)

17,わたしが律法や預言者を廃棄するために来た、と思ってはなりません。廃棄するためではなく成就するために来たのです。

18,まことに、あなたがたに言います。天地が消え去るまで、律法の一点一画も決して消え去ることはありません。すべてが実現します。

19,ですから、これらの戒めの最も小さいものを一つでも破り、また破るように人々に教える者は、天の御国で最も小さい者と呼ばれます。しかし、それを行い、また行うように教える者は天の御国で偉大な者と呼ばれます。



律法は人殺しを禁じていますが、イエス様はそれ以上です。心の中の憎しみ、蔑み、愛がなく、他人を見下してさばいているなら殺人者と同じです。



(21節から22節)

21,昔の人々に対して、『殺してはならない。人を殺す者はさばきを受けなければならない』と言われていたのを、あなたがたは聞いています。

22,しかし、わたしはあなたがたに言います。兄弟に対して怒る者は、だれでもさばきを受けなければなりません。兄弟に『ばか者』と言う者は最高法院でさばかれます。『愚か者』と言う者は火の燃えるゲヘナに投げ込まれます。



また、律法は姦淫(結婚相手以外の性関係)を禁じていますが、イエス様はそれ以上です。心の中の淫らな思いがあるなら姦淫者です。



(27節から28節)

27,『姦淫してはならない』と言われていたのを、あなたがたは聞いています。

28,しかし、わたしはあなたがたに言います。情欲を抱いて女を見る者はだれでも、心の中ですでに姦淫を犯したのです。



イエス様は、「無理。自分にはできない」とは言わせない方です。必ずできるようにしてくださいます。殺人に関しては、まず、自分の内側にある人を見下す思いを告白し、次に自分が見下したことで被害を与えて、恨みや苦々しい思いを与えてしまった人に謝罪をし、和解を申し込むことです。



(23節から26節)

23,ですから、祭壇の上にささげ物を献げようとしているときに、兄弟が自分を恨んでいることを思い出したなら、

24,ささげ物はそこに、祭壇の前に置き、行って、まずあなたの兄弟と仲直りをしなさい。それから戻って、そのささげ物を献げなさい。

25,あなたを訴える人とは、一緒に行く途中で早く和解しなさい。そうでないと、訴える人はあなたを裁判官に引き渡し、裁判官は下役に引き渡し、あなたは牢に投げ込まれることになります。

26,まことに、あなたに言います。最後の一コドラントを支払うまで、そこから決して出ることはできません。



人を大切にせず恨みや憎しみを与えたまま放置するなら、「あなたは牢に投げ込まれることになります。」とイエス様はおっしゃいます。(25)神様が罪を放置することがないからです。僕らは、具体的に愛し、謝り、和解する必要があります。


淫らな思いの問題も同じです。神様に告白して謝るだけでなく、具体的に情欲に誘う原因となるものを手放すことです。



(29節から30節)

29,もし右の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出して捨てなさい。からだの一部を失っても、全身がゲヘナに投げ込まれないほうがよいのです。

30,もし右の手があなたをつまずかせるなら、切って捨てなさい。からだの一部を失っても、全身がゲヘナに落ちないほうがよいのです。



スマホが誘惑になるならブロックし、それでもダメならスマホを使わないことです。誘惑する人とは連絡を取らないことです。僕の恩師は、スマホやパソコンは必ず妻にフルオープンにするべき、それがあなたを守る、となると教えてくれました。ちなみに僕は最近無防備にテレビを見るのをやめました。妻との関係を壊す不要な情報が勝手に来るからです。


イエス様の時代、何かと気に入らない理由をつけて離婚する人が多かったようです。しかし、それは姦淫の罪だとイエス様はおっしゃいます。



(31節から32節)

31,また『妻を離縁する者は離縁状を与えよ』と言われていました。

32,しかし、わたしはあなたがたに言います。だれでも、淫らな行い以外の理由で自分の妻を離縁する者は、妻に姦淫を犯させることになります。また、離縁された女と結婚すれば、姦淫を犯すことになるのです。



相手が悪いとか、相手が愚かだったとか、そのような事は理由にはなりません。問題は妻を愛さないことです。相手を下に見ることです。イエス様はバカな僕らを愛し抜いてくださいました。いのちを捨てるまで低く低く、罵られる側、殺される側なってくださいました。「へりくだって、互いに人を自分よりすぐれた者と思いなさい。(…中略…)キリスト・イエスのうちにあるこの思いを、あなたがたの間でも抱きなさい。」と聖書は言います。(ピリピ2.3-5)


殺人も、姦淫も、離婚も、愛と尊敬がないことが原因です。それが今の現実だしスタートです。そして、神様の御心は僕らの中に実現していきます。性格も対応も、神様の願った通りに変えられていきます。罪の悔い改めは心の中で終わりません。必ず行動に現れます。イエス様があきらめないで愛し続けてくださったように、僕らもあきらめないで愛し赦すように変えられます。相手がいいか悪いかは関係ありません。御霊がくださる新しい心は愛することの1択です。御霊によって必ずそれができます。与えられます。それで傷つけられても大丈夫です。「義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」(マタイ5.10)



(44節から45節)

44,しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。

45,天におられるあなたがたの父の子どもになるためです。父はご自分の太陽を悪人にも善人にも昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからです。


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