2024年1月10日水曜日

マタイ5.38-48

 マタイ5.38-48


自分の気に入る人には良いことをするけども、気に入らない人には冷たくする、人間はそんなものです。特に危害を加えてくる人には良いことをする必要なんてない、と考えるのが普通です。ところが、イエス様は真逆です。悪人にも正しいくない人にも、自分を苦しめる敵にも良いものを与える方です。



(43-45節)

43,『あなたの隣人を愛し、あなたの敵を憎め』と言われていたのを、あなたがたは聞いています。

44,しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。

45,天におられるあなたがたの父の子どもになるためです。父はご自分の太陽を悪人にも善人にも昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからです。

46,自分を愛してくれる人を愛したとしても、あなたがたに何の報いがあるでしょうか。取税人でも同じことをしているではありませんか。

47,また、自分の兄弟にだけあいさつしたとしても、どれだけまさったことをしたことになるでしょうか。異邦人でも同じことをしているではありませんか。



敵を愛しなさいとか、悪に善で返しなさい、(ローマ12.20-21)とおっしゃる理由があります。それは、僕らも悪人であり敵だったからです。自分を攻撃する人の姿は自分の姿です。敵の悪い所を数え上げて訴えますが、イエス様の答えは「見なさい。自分の目には梁があるではありませんか。」です。(マタイ7.4)捕まえてみたら、そこに自分を見るはずです。それでもイエス様は見捨てません。ひどかったあの日も今日も神様は愛してくださいました。どんなに恩知らずでも愛し、憐れんでくださいました。だから、あなた方もあわれみ深くしなさいと教えます。



(ルカの福音書6章35節から36節)

しかし、あなたがたは自分の敵を愛しなさい。彼らに良くしてやり、返してもらうことを考えずに貸しなさい。そうすれば、あなたがたの受ける報いは多く、あなたがたは、いと高き方の子どもになります。いと高き方は、恩知らずな者にも悪人にもあわれみ深いからです。

あなたがたの父があわれみ深いように、あなたがたも、あわれみ深くなりなさい。



「心貧しい者は幸いです」(マタイ5.3)自分が良い人でなく、意地悪で、妬んでいて、恨んで、淫らな心に満ちていることを自覚している人は幸いです。神様はそれでも良いものを与え続け、見捨てることがありません。天の御国はその人のものだ、とおっしゃいます。そのように、今度は、あなたが悪に対して愛で返しなさいとイエスは言われます。



(38節から42節)

38,『目には目を、歯には歯を』と言われていたのを、あなたがたは聞いています。

39,しかし、わたしはあなたがたに言います。悪い者に手向かってはいけません。あなたの右の頬を打つ者には左の頬も向けなさい。

40,あなたを告訴して下着を取ろうとする者には、上着も取らせなさい。

41,あなたに一ミリオン行くように強いる者がいれば、一緒に二ミリオン行きなさい。

42,求める者には与えなさい。借りようとする者に背を向けてはいけません。



これは自力では絶対に無理な話です。イエス様だけがそうしてくださる方です。白目を剥いて呼吸ができなくなるまで、敵を愛し、敵のために祈り、敵を赦してくださったのはイエス様です。そのイエス様の御霊によってだけ、僕らは変えられます。自分の努力ではムリです。聖書知識がいくらあってもムリです。

憐れみ深いイエス様の霊が僕らの中に住んでおられます。だから御霊と一緒に、御霊におまかせして敵を愛し、良いもので返すことができます。


「そんなことをしたら、相手が調子に乗る」「歯止めがなくなる」と僕らは心配します。その心配に対するイエス様の答えは予想外です。神様のために傷つけられ、苦しむならなら、天の報いは大きい、「大いに喜びなさい。」とおっしゃいます。



(10-12節)

10,義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。

11,わたしのために人々があなたがたをののしり、迫害し、ありもしないことで悪口を浴びせるとき、あなたがたは幸いです。

12,喜びなさい。大いに喜びなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのですから。



12節は塚本虎次郎訳が「褒美がどっさり天であなた達を待っている」としています。迫害されたたり苦しめられながらも愛し、赦し、祝福する祈りをしたら、神様から、そして天使たちから大歓声が沸き起こっています。「よく忍耐した、よく赦した、よく愛した。仕返ししなかった。善で返した!」と拍手喝采です。


自分の罪深さを知っている人は幸いです。どれだけたくさん赦し忍耐してもらったか、ひどい生活をしてたのか、だのに神様が良いものを与え続け、赦し、愛し抜いてくださったことを思い出す人は幸いです。今度は僕らの番です。

人間的にはありえない、神様の憐れみと愛の聖霊が僕たちの心に注がれています。(ローマ5.5)


神様が今日も僕らを聖霊で満たし、敵を愛し、迫害する者を祝福する祈りを与えて下さいますように。敵に良いものを与えますように。イエス様のために傷つけられる大きな喜びを体験できますように。「喜びなさい。大いに喜びなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのですから。」ハレルヤ!

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