詩篇46篇
神様がおられるところにはいつも「川」が流れています。エデンの園の川は全てを潤していました。(創世記2章10節) やがて来る新しい天と地も川が流れ、その水によって全てが生かされます。(黙示録22章1節) そして、僕らの心にも同じ「生ける水の川」が流れています。これは聖霊のことです。イエス様はおっしゃいました。
(ヨハネの福音書 7章38~39節)
わたしを信じる者は、聖書が言っているとおり、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになります。」
イエスは、ご自分を信じる者が受けることになる御霊について、こう言われたのである。
聖霊は川のようです。聖霊が満ちるところには、喜びがあり癒しがあり平安があります。神様の都にはいつもこの聖霊の川の水が流れています。
(4節から5節)
4,川がある。その豊かな流れは神の都を喜ばせる。いと高き方のおられるその聖なる所を。
5,神はそのただ中におられその都は揺るがない。神は朝明けまでにこれを助けられる。
いのちの水が流れる神の住まい、神の都は、なんと僕らの体です。「あなたがたのからだは、あなたがたのうちにおられる、神から受けた聖霊の宮」(1コリント6.19)「私たちは生ける神の宮なのです。」神がこう言われるとおりです。「わたしは彼らの間に住み、また歩む。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。」(2コリント6.16)
神様と一緒の住まいは完璧で恐れのない世界です。周りがどんなに混乱し、殺し合い、滅んでも、まるで別世界の完璧なシェルターの中のような安心感と喜びとがあります。
(1節から3節)
1,神はわれらの避け所また力。苦しむときそこにある強き助け。
2,それゆえわれらは恐れない。たとえ地が変わり山々が揺れ海のただ中に移るとも。
3,たとえその水が立ち騒ぎ泡立ってもその水かさが増し山々が揺れ動いても。セラ
「戦争や暴動のことを聞いても、こわがってはいけません。」とイエス様は言われます。(ルカ21.9)僕らは恐れる必要がありません。なぜなら、神様と一緒にいるその安心感は崩れることがないからです。もちろん不安があり渇く時があります。その時神様を求める時です。渇く人は幸いです。イエス様は「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。」(ヨハネ7.37)「渇く者は来なさい。いのちの水がほしい者は、それをただで受けなさい。」(黙示録22.17)とおっしゃいます。神様こそ、揺らぐことがない避けどころ、助け、完璧な砦です。そこは安全な世界です。
(7節)
万軍の主はわれらとともにおられる。ヤコブの神はわれらの砦である。
なんとか戦って安全な世界を作ろうとか、不安なものごとを排除しようとする必要がありません。聖書が何度も繰り返していることは、神様こそが支配者であることを信じて委ねて任せなさい、です。神様が神様の方法で平和をもたらすからです。
(9節から11節)
9,主は地の果てまでも戦いをやめさせる。弓をへし折り槍を断ち切り戦車を火で焼かれる。
10,「やめよ。知れ。わたしこそ神。わたしは国々の間であがめられ地の上であがめられる。」
11,万軍の主はわれらとともにおられる。ヤコブの神はわれらの砦である。
僕らの体に聖霊が満ち、いのちの水の川が流れています。2人でも3人でも集まるところにはイエス様がいます。そこは神様の都、安全な砦であり、喜びと平安が満ちる世界です。神様はご自身は全く心配していないし、僕らにも「心配するのはやめなさい」「恐れてはなりません」と繰り返します。今日の不安は神様のところに戻るための通過点です。確認しましょう。僕らはいつもこの川のほとりいます。今日も「万軍の主はわれらとともにおられる。ヤコブの神はわれらの砦である。」です。(11節) 大丈夫です!
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