マタイ2.1-8
自分の思いを応援して支えてくれる人は好きなんだけど、自分より上の人、権威のある人を僕たちは嫌いがちです。やっぱり自分が上でいたいし、指図されたくないと僕も思います。権力にこだわる有名人はたくさんいるけど、イエス様が生まれた当時のヘロデ王は特にそうで、権力への執着心は異常です。影響力を持つためにエルサレムに神殿まで作り、自分の座を狙ってると思い込み妻も息子も殺してしまった人です。彼の前で次の王様の話をするなんて絶対NGです。彼は自分以外の力を徹底排除する暴君でした。
そんな最悪な時代に、イエス様がお生まれになりました。しかも、外国の高官たち公式訪問してきて言います。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。」(2)しかも彼らは「礼拝するために来ました。」とさえ言います。(3)ヘロデ王にとっては最も動揺し、焦り、怒る事件です。
(マタイの福音書 2章1~3節)
"イエスがヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東の方から博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。
「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。私たちはその方の星が昇るのを見たので、礼拝するために来ました。」
これを聞いてヘロデ王は動揺した。エルサレム中の人々も王と同じであった。"
ヘロデほどではないにしても、やっぱり僕らも自分が主人公でいたいものです。座が奪われるのを恐れます。イエス様の話を聞いて、「助けてくれる」とか「愛してくれる」とか「祈りを聞いてくれる」って話は受け入れやすいです。でも、「この方が王様であって、これからあなたは王の教えを聞いて従わなければいけません」と言われると「え?なんで?私の言うこと聞いてくれるんじゃなかったの?」と思う人が多いようです。僕らは自分の思い通りにしたい、という王様気質があります。イエス様を王として迎えることは、自分の立ち位置が根底からひっくりかえることです。ヘロデ王は焦り怒りました。この後、ベツレヘムの2歳以下の赤ちゃんを全部殺します。
(マタイの福音書 2章16節)
そして人を遣わし、博士たちから詳しく聞いていた時期に基づいて、ベツレヘムとその周辺一帯の二歳以下の男の子をみな殺させた。
イエス様は世界の王です。僕らは王ではありません。このイエス様に対してどう向き合うか2択しかありません。「拝む、従う」か「抹殺する(無視する)」かです。イエス様を受け入れることは、自分のプライドを捨てて、自分の考えや計画を手放して、王として受け入れることです。そして、この選択は実は最高の祝福をもたらします。なぜなら、僕らが思う以上に素晴らしい王様だからです。僕らのことを愛し、人の思いのはるかに及ばない祝福の計画を与えてくださいます。暴君ではありません。「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」(イザヤ9.6)です。僕らの花婿でもあります。僕らはこの方に愛される花嫁でもあります。自分で描いたよりもずっと素晴らしい人生を与えてくださる王様です。この世界すべての人にいのちと光を与えてくださる最高の方です。この方の前にひれ伏し、従い、礼拝し、感謝し、賛美しましょう。自分のちっちゃなプライドなんて捨てちゃいましょう。ハレルヤ!
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