ミカ3章から4章
いつも人間は堕落しがちです。神様のことばを伝える人たちも例外ではありません。牧師も宣教師たちも同じです。3つのGに気をつけろ、とよく言われます。Gold(お金)Glory(自分の栄光)Girl(女性、異性)です。これらに引きずられておかしくなる人が多いからです。
この時代、預言者たちは神様のためではなくて、自分の栄光やお金や欲のために好き勝手なことを語るようになってしまいました。
(ミカ書 3章5節)
"預言者たちについて、主はこう言われる。「彼らはわたしの民を惑わし、かむ物が歯にあれば『平和があるように』と叫ぶが、口に何も与えない者には聖戦を布告する。」"
また、当時の祭司たちもです。祈ったり教えたりする大切な役目が与えられていたのに、それでも彼らはお金によって教えを変え、堕落します。
(ミカ書 3章11節)
"そのかしらたちは賄賂を取ってさばき、祭司たちは代金を取って教え、預言者たちは金を取って占いをする。しかもなお、彼らは主を当てにして、「主は私たちの中におられるではないか。わざわいは私たちの上に及ばない」と言う。"
神様のことばを教える人が堕落すると、それを聞いた人たちもおかしくなります。エルサレムは本来、神様を礼拝する人たちが集められる大事な場所でした。でも、そこは偽りの教えによって堕落し、神様の怒りの対象となり、外国(バビロン)に占領され、瓦礫の山となります。
(ミカ書 3章12節)
"それゆえ、あなたがたゆえにシオンは畑のように耕され、エルサレムは瓦礫の山となり、神殿の山は木々におおわれた丘となる。"
今も敵である悪魔は指導者を誘惑します。彼らがおかしくなれば全体がおかしくなるからです。僕らは祈る必要があります。教会の指導者が誠実であるように、神様の言葉に足したり引いたりしないでそのまま伝えるようにです。彼らがお金や欲に引きずられておかしなことを教えるなら、教会全体が崩れていきます。この世の終わりが近づくと、「にせ預言者が多く起こって、多くの人々を惑わします。」とイエス様も警告しています。(マタイ24.11)
でも、その先に希望があります。
どんなにこの世界が崩れてもイエス様はもう一度この地上に来られます。どんなにボロボロにされても、そこから再び完璧に作り直す力を持っておられます。イエス・キリストがもう一度この地に戻ってくる場所はエルサレムです。
(ミカ書 4章1~3節)
"その終わりの日、主の家の山は、山々のかしらとして堅く立ち、もろもろの丘よりも高くそびえ立つ。そこへもろもろの民が流れて来る。
多くの国々が来て言う。「さあ、主の山、ヤコブの神の家に上ろう。主はご自分の道を私たちに教えてくださる。私たちはその道筋を進もう。」それは、シオンからみおしえが、エルサレムから主のことばが出るからだ。
「西洋ならキリスト教」「中東ならイスラム教」「日本なら神道や仏教」「それぞれでいいんじゃない?」という多元主義を聖書はキッパリ否定しています。全人類すべてがイエス様を求め、従う日が来ます。聖書は「天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人間に与えられていない」と言います。(使徒4.12)
その時にはなんと、顔と顔を合わせて、直接その教えを聞くことができます。イエス様がリアルに唯一の支配者となります。(今もそうだけど。)世界中の人々がエルサレムに来たがります。そこで直接会えるし聞けるからです。まるで、僕らが「次の旅行はどこ行こう」「美味しいもの食べたい」と言うように、その日が来るとすべての人がワクワクしながら「ああ早くイエス様のことばを聞きたい!行こうよ!」と言う時代になります。「さあ、主の山、ヤコブの神の家に上ろう。主はご自分の道を私たちに教えてくださる。私たちはその道筋を進もう。」です。(2)そしてそのことばに聞き従った結果、世界は完全に平和になります。
(3)
主は多くの民族の間をさばき、遠く離れた強い国々に判決を下す。彼らはその剣を鋤に、その槍を鎌に打ち直す。国は国に向かって剣を上げず、もう戦うことを学ばない。"
その日には平和と正義が世界中に行き渡ります。平和で安全なので、軍隊は不要です。軍事費がいらないから、全部農業予算に回す時代が来ます。個人的にも安全安心なのでカギもセコムもいらなくなるようです。この世界の歪み、悪悲惨な事は一掃され、苦しんでいる人たちは癒されます。
(ミカ書 4章6~8節)
"「その日──主のことば──わたしは足を引きずる者を集め、追いやられた者、また、わたしが苦しめた者を呼び集める。
わたしは足を引きずる者を、残りの者とし、遠くへ移された者を、強い国民とする。主であるわたしが、シオンの山で、今よりとこしえまで、彼らの王となる。
あなたは、羊の群れのやぐら、娘シオンの丘。あなたには、あのかつての主権、娘エルサレムの王国が戻って来る。」"
神様が弱い人、追いやられた人、そして傷だらけでどうしようもなくなった人たちを集めてくださいます。「私なんて…」って思う人は今も多いけど、神様の目にはその人こそ価値があります。聖書は 「足をひきずる者を集め」と言います。つまり弱さがあからさまな人を、ちゃんと引き寄せて癒してださいます。これが本当の平和です。イエス様はおっしゃいました。「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」(マタイ5.3)「私なんて…」と思っている人たちが集められ、神様の王国のメンバーにされます。悲しむ人は慰められます。人生の底辺だと思っていても、神様が最高の王国に参加させてくださいます。反対に、高ぶる人は不幸です。自分を高くし、威張り、王様のように振る舞う人は不幸です。
今は世界中がおかしくなっているかもしれません。神様のために働く人でさえも、お金とか欲で狂っていく時代かもしれません。もう一度イエス様が来られます。その時に全てが正しく裁かれ世界は回復します。忍耐とは希望です。希望とはイエス様が来られることを信じて待ち望むことです。すべての人が喜んでイエス様の言葉を求める日が来ます。そして、僕らはさきがけのようにそのメンバーにされた人です。先に神様のことばを求める特権が与えられています。「主のみおしえは完全で、たましいを生き返らせ、主のあかしは確かで、わきまえのない者を賢くする。主の戒めは正しくて、人の心を喜ばせ、主の仰せはきよくて、人の目を明るくする。」(詩篇19.7-8)この祝福の未来を僕らは世界中に伝える役目があります。今はその時期です。神様の言葉を求めましょう。聞きましょう。そして、伝えましょう。神様のことばは僕らを回復させ、祝福してくださいます。ハレルヤ!
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