2024年12月18日水曜日

ミカ6.6-16

 ミカ6.6-16


夫婦関係でも友人関係でも、「これだけやってあげたのに!」ってイライラしちゃう時があります。実はこれ、相手のためというよりも自分の手柄、自分の良さ、自分の犠牲、自分の労力などが中心でかつ、相手から見返りを求めている態度です。そこには喜びも愛も感謝もありません。自分を上に置いて思い通りにしようと思う限り、疲れと不満はいつも付きまといます。

神様との関係も同じです。「こんなに奉仕したのに」「こんなに献金したのに」と思う人は基本的に自分が上です。神様に対し「思い通りに動いてくれない」と下に見るようです。

神様は僕らがコントロールする方ではありません。僕らがお手伝いしたりお金をあげないと困る神様でもありません。全く正反対です。神様が全てを作り支配し、僕らに良いものを与えてくださっています。神様もまた僕らをロボットにして利用しようとは願っておられません。神様の願いは「ともに歩むこと」です。神様に愛され、神様を愛し、信頼し、敬い、尊敬して歩むことです。



(6-8節)

6,何をもって、私は主の前に進み行き、いと高き神の前にひれ伏そうか。全焼のささげ物、一歳の子牛をもって御前に進み行くべきだろうか。

7,主は幾千の雄羊、幾万の油を喜ばれるだろうか。私の背きのために、私の長子を、私のたましいの罪のために、胎の実を献げるべきだろうか。

8,主はあなたに告げられた。人よ、何が良いことなのか、主があなたに何を求めておられるのかを。それは、ただ公正を行い、誠実を愛し、へりくだって、あなたの神とともに歩むことではないか。



「へりくだって神と共に歩む」のは、ただ自分を卑下することではありません。神様の前で自分を隠さず、欠点も認めつつ、それでも愛してくださる神様に感謝し敬って歩むことです。いつも神様を重んじ、第一に考えて歩むことです。そして聖書は「あなたの御名を恐れることは英知だ」(9)といいます。


神様を恐れるのことは、ビクビクして自分を押さえ込むことではありません。神様の愛と正義、偉大さをちゃんと理解して、それを尊重することです。神様の無限の知恵と力を知り続け、圧倒され、平伏して従うことです。いつも「神様すごいなー!」って誇り感謝して歩むことです。神様を知れば知るほど、「こんなすごい方を裏切りたくない」「もっと知りたい」「従いたい!」と思うようになります。これが「あなたの御名を恐れることは英知だ」という人生です。

神様を恐れると、心も行動も聖くありたい、と願います。他の人たちに対しても誠実でありたいと思うのとセットです。逆に、もしも神様を恐れないなら他人も見下し、利用し、搾取しようとします。その実例が書かれています。



(10-15)

10,まだ、悪しき者の家には、不正の財宝と、のろわれた升目不足の升があるではないか。

11,不正な秤と、欺きの重り石の袋を、誤りなしとすることが、わたしにできるだろうか。

12,富む者たちは不法で満ち、住民は偽りを言う。彼らの口の中で舌が欺く。

13,わたしも、あなたを打って痛めつけ、あなたの罪のゆえに荒れ果てるままにする。

14,あなたは食べても満ち足りず、あなたの腹は飢える。取っておいても保つことはできず、保っていたものは、わたしが剣に渡す。

15,種を蒔いても、刈ることがなく、オリーブを搾っても、油を身に塗ることがない。新しいぶどう酒も、それを飲むことがない。



いつも、どんな時も神様を重んじ、愛して一緒に歩むことが「主を恐れる」ことです。今日も神様を重んじましょう。神様の愛と知恵と力は無限です。この神様に信頼し、聞いて、従いましょう。誇るべきは神様だけです。神様は今日も一緒に歩みたいと願ってくださっています。ハレルヤ!





0 件のコメント:

コメントを投稿