ミカ7章
僕らは他人を見てはがっかりし、自分を見てはがっかりします。これは預言者ミカも同じです。周りの人たちが腐っていくのを見て嘆きます。でも、この嘆きは通過点です。これで終わりではありません。
(ミカ書 7章2~4節)
"敬虔な者はこの地から消え失せ、人々の間に、心の直ぐな者は一人もいない。みな血を流そうと待ち伏せし、互いに網をかけ合って捕らえようとする。
彼らの手は悪事を働くのに巧みで、役人もさばき人も賄賂を求める。有力者は自分の欲するままを語り、こうして事をねじ曲げている。
彼らのうちの善良な人も茨のようだ。心の直ぐな者も茨の生け垣に劣る。あなたを見張る者の日、あなたの刑罰の日が来る。今、彼らに混乱が起きる。"
ミカは周りにガッカリするだけでなく、自分のことも「私が主の前に罪ある者」と言っています。(9)苦しみがあるのは神様の怒りを受けているからだと言います。(9)それでも回復があります。ヒドいことが起こるのは通過点です。その先には希望があります。
(7-8節)
しかし、私は主を仰ぎ見、私の救いの神を待ち望む。私の神は私の言うことを聞いてくださる。
私の敵よ、私のことで喜ぶな。私は倒れても起き上がる。私は闇の中に座しても、主が私の光だ。
神様は救いの神様です。イエス様が全ての罪を引き受けて十字架で身代わりに殺され、殺されただけでなく復活し、信じる僕らを無罪と宣言し、新しい命を与えてくれています。イエス様は光です。信じる人はイエス様の光に連れていかれ、無罪宣言を受けて新しく歩み始めます。
(ミカ書 7章8~9節)
"私の敵よ、私のことで喜ぶな。私は倒れても起き上がる。私は闇の中に座しても、主が私の光だ。
私は主の激しい怒りを身に受けている。私が主の前に罪ある者だからだ。しかし、それは、主が私の訴えを取り上げ、私を正しくさばいてくださるまでだ。主は私を光に連れ出してくださる。私は、その義を見る。"
悪魔は僕らを闇に閉じ込めたいようです。僕らが落ち込むのを喜び、ささやきます。「ひどい罪を犯したな。こんなんじゃ神様に顔向けできないだろ?もうキリストから離れちゃえよ。」このささやきに耳を傾ける必要はありません。自分の罪がわかるほどに、「それでも神さまってこんなに恵み深いんだ」とわかります。「罪の増し加わるところに、恵みも満ちあふれました。」(ローマ人への手紙 5章20節)だからミカは敵に言い返します。「私の敵よ、私のことで喜ぶな。私は倒れても起き上がる。私は闇の中に座しても、主が私の光だ。」と(8)
罪が増えるほどに、イエス様の赦しも増えます。自分の罪深さを知ってがっかりしつつも、もう一度「そんな私を愛し赦し取り戻しててくれる神様」に目を向けるのが大切です。そこには感謝と賛美しかありません。ミカは感動して次のように言います。
(ミカ書 7章18~20節)
"あなたのような神が、ほかにあるでしょうか。あなたは咎を除き、ご自分のゆずりである残りの者のために、背きを見過ごしてくださる神。いつまでも怒り続けることはありません。神は、恵みを喜ばれるからです。もう一度、私たちをあわれみ、私たちの咎を踏みつけて、すべての罪を海の深みに投げ込んでください。昔、私たちの父祖たちに誓われたように、ヤコブにまことを、アブラハムに恵みをお与えください。"
これが福音です。イエス様が光です。私たちの救いは、この方以外にありません。落ち込み続ける必要はありません。「背きを見過ごしてくださる神。いつまでも怒り続けることはありません。神は、恵みを喜ばれるからです。」イエス様に感謝あるのみです。落ち込みます。でも回復があります。闇があります。でも光が来ています。神様は「恵みを喜ばれる」神様です。(18)感謝しましょう。ハレルヤ!
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