2025年5月29日木曜日

ヘブル13.1-16

 ヘブル13.1-16


この世界は滅ぼされ焼かれてしまいます。が、怖がらなくて大丈夫です。イエス様に繋がった人は一緒に滅ぼされることがないし、むしろ素晴らしい御国を受けるからです。これは決定事項なので「感謝しようではありませんか」と聖書は言います。



"このように揺り動かされない御国を受けるのですから、私たちは感謝しようではありませんか。感謝しつつ、敬虔と恐れをもって、神に喜ばれる礼拝をささげようではありませんか。"

ヘブル人への手紙 1228



この世にこだわる人はお金を求め、自分保身を求め、性的な快楽を求めます。が、全部滅ぼされなくなってしまいます。だのに、神様がわからないと富や権力や快楽にすがってしまいます。



"私たちは、いつまでも続く都をこの地上に持っているのではなく、むしろ来たるべき都を求めているのです。"

ヘブル人への手紙 1314



神様に滅ぼされるものと喜ばれるものの違いは明確だしわかります。周りから認められなくても、悪く言われても、損していると言われていも、神様に喜ばれているなら十分です。主ご自身が「わたしは決してあなたを見放さず、あなたを見捨てない」と言われています。(5)

イエス様がお手本です。イエス様は人から捨てられ、辱められ、罪人を愛し救うために十字架の上で苦しみを受けてくださいました。



"それでイエスも、ご自分の血によって民を聖なるものとするために、門の外で苦しみを受けられました。

ですから私たちは、イエスの辱めを身に負い、宿営の外に出て、みもとに行こうではありませんか。

私たちは、いつまでも続く都をこの地上に持っているのではなく、むしろ来たるべき都を求めているのです。"

ヘブル人への手紙 131214



"兄弟愛をいつも持っていなさい。

旅人をもてなすことを忘れてはいけません。そうすることで、ある人たちは、知らずに御使いたちをもてなしました。

牢につながれている人々を、自分も牢にいる気持ちで思いやりなさい。また、自分も肉体を持っているのですから、虐げられている人々を思いやりなさい。

結婚がすべての人の間で尊ばれ、寝床が汚されることのないようにしなさい。神は、淫行を行う者と姦淫を行う者をさばかれるからです。

金銭を愛する生活をせずに、今持っているもので満足しなさい。主ご自身が「わたしは決してあなたを見放さず、あなたを見捨てない」と言われたからです。

ですから、私たちは確信をもって言います。「主は私の助け手。私は恐れない。人が私に何ができるだろうか。」"

ヘブル人への手紙 1316



今日の一つ一つの時間の使い方とか選択が神様に喜ばれるものかどうか聞いてみましょう。必ずわかります。嫌われるものを選び大事にするのは無駄だしマイナスでしかありません。イエス様がお手本です。辱めを背負い、罪人を愛し、自分を捨てて与えてくださったイエス様が模範です。そのように教え、そのように生きようとしている先輩や指導者が与えられていることも神様のプレゼントです。



"神のことばをあなたがたに話した指導者たちのことを、覚えていなさい。彼らの生き方から生まれたものをよく見て、その信仰に倣いなさい。"

ヘブル人への手紙 137



イエスに倣いましょう。そしてイエス様に倣いたいと思っている先輩や指導者に倣いましょう。この世で損して見下されていても、神様に喜ばれています。「私たちは、いつまでも続く都をこの地上に持っているのではなく、むしろ来たるべき都を求めているのです。」14)ハレルヤ!



"善を行うことと、分かち合うことを忘れてはいけません。そのようないけにえを、神は喜ばれるのです。"

ヘブル人への手紙 1316



2025年5月27日火曜日

ヘブル12.1-13

 ヘブル12.1-13


人生疲れます。でも疲れ果ててしまわないための方法があります。それはイエス様が愛する仲間から裏切られ、ののしられながらも復活と勝利を確信して忍耐されたことを考えることです。



"あなたがたは、罪人たちの、ご自分に対するこのような反抗を耐え忍ばれた方のことを考えなさい。あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないようにするためです。"

ヘブル人への手紙 12章3節



神様の願いは「ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず」勝利と栄光を確信して忍耐することです。(1ペテロ2.23)神様は「私たちをご自分の聖さにあずからせようと」しています。(12.10)聖くされることはイエス様のキャラに似ていくことです。そのためには、どうしても訓練が必要です。



"肉の父はわずかの間、自分が良いと思うことにしたがって私たちを訓練しましたが、霊の父は私たちの益のために、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして訓練されるのです。"

ヘブル人への手紙 12章10節



実際の訓練メニューは、人々から裏切られたり苦しめられたりすることです。…でも怖がらなくて大丈夫です。筋トレも初心者はちょうど良い重さから始めます。最高のトレーナーである神様は僕らにベストな負荷をかけてくれます。ちょうど良い苦しみの中でイエス様のお手本を見上げ、神様に喜ばれていることを僕らも喜びながら忍耐する訓練です。



"信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい。この方は、ご自分の前に置かれた喜びのために、辱めをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されたのです。

あなたがたは、罪人たちの、ご自分に対するこのような反抗を耐え忍ばれた方のことを考えなさい。あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないようにするためです。"

ヘブル人への手紙 12章2~3節



この訓練は苦しみの中で先にある希望と喜びを見て忍耐する訓練です。

イエス様は人々に苦しめられましたが、その目線は「ご自分の前に置かれた喜び」でした。(2)イエス様は復活と栄光の喜びを見ながら、十字架の苦しみを忍耐されました。同じように、僕らも苦しみの中で祈り、敵を赦し愛する決断を選ぶなら神様に喜ばれています。



"わたしのために人々があなたがたをののしり、迫害し、ありもしないことで悪口を浴びせるとき、あなたがたは幸いです。

喜びなさい。大いに喜びなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのですから。あなたがたより前にいた預言者たちを、人々は同じように迫害したのです。"

マタイの福音書 5章11~12節



人から受ける攻撃やストレスは、イエス様に似ていくためにどうしても必要なプロセスです。神様はそのような通過点をあえて通らせます。愛されている子どもにはベストな訓練が必要だからです。だから気落ちしたり、疲れ果てたり、投げ出したりする必要はありません。それは今、一番いい重さです。



"そして、あなたがたに向かって子どもたちに対するように語られた、この励ましのことばを忘れています。「わが子よ、主の訓練を軽んじてはならない。主に叱られて気落ちしてはならない。

主はその愛する者を訓練し、受け入れるすべての子に、むちを加えられるのだから。」"

ヘブル人への手紙 12章5~6節



悲しいけど喜びましょう、きついけど忍耐しましょう。イエス様は苦しみの中でも神様に喜ばれていました。同じように僕らも喜ばれています。



"信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい。この方は、ご自分の前に置かれた喜びのために、辱めをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されたのです。

あなたがたは、罪人たちの、ご自分に対するこのような反抗を耐え忍ばれた方のことを考えなさい。あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないようにするためです。"

ヘブル人への手紙 12章2~3節



痩せガマンでなくいいましょう。「神様、つらいです。でも、あなたのように仕返しをせずに忍耐し愛することを選びます。この苦しみもイエス様に似た聖なるものに近づける道具として使ってください。」「主よ、心が痛すぎます。でも、あなたのように赦しの道を選べるように、私の心を作り変えてください。」



ヘブル11.32-40

 ヘブル11.32-40


「もうダメだ、自分には何もない」って思っても、信仰が与えられた時に神様の全ての恵みをすでに手に入れています。僕らは自分や他人の欠点とか地位とか能力とか、目に見えることで将来を決めつけ、悲観したりします。でも、神様は弱い人に力を与え、人の能力や欠点に関係なく祝福を与えます。それらを受け取る方法はただ一つ、神様への信仰です。信仰とは神様の祝福を見えるかのように確信させてくれるものです。

ギデオンと言う人は、イスラエルの中でも一番貧しい家の出身で、何も持たない弱い人でした。だのに、彼は敵を打ち負かし勝利しました。ただ神様の言葉を信仰で受け取り従ったからです。(士師記6章から7章)


"彼らは信仰によって、国々を征服し、正しいことを行い、約束のものを手に入れ、獅子の口をふさぎ、火の勢いを消し、剣の刃を逃れ、弱い者なのに強くされ、戦いの勇士となり、他国の陣営を敗走させました。"ヘブル人への手紙 11章33~34節


バラクという人は心配性で、神様の勝利を聞きながらも女預言者に頼り、「もしあなたが私と一緒に行ってくださらないなら、行きません。」と言うような弱い人です。(士師記4章8節)それでも神様は彼を用いて勝利させてくださいました。神様の言葉は、人間の弱さとか欠点を遥かに超えています。


サムソンは、女性に弱く、かつ、怒りにまかせて行動するような人でした。好きだった女性に最後は裏切られ、敵に売られ、目をえぐり取られて見せ物にされた人です。それでも、そのどん底の中でもう一度神様を信じて祈ります。最後は大逆転勝利をすることができました。(士師13章から16章)


"これ以上、何を言いましょうか。もし、ギデオン、バラク、サムソン、エフタ、またダビデ、サムエル、預言者たちについても語れば、時間が足りないでしょう。"ヘブル人への手紙 11章32節


エフタという人は、娼婦の子どもです。人々から馬鹿にされ、追い出され、ならず者と付き合っていました。そんな彼が敵国に勝利するリーダーになりました。(士師11章)

どんなに弱い人であっても、見下された人であっても、欠点があっても、貧しくても、信仰が与えられたときに神様の祝福と勝利を手に入れます。ダビデも、サムエルも弱い人だったのに、ただ神様によって強くされた人たちです。「信仰は、望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させるものです。」(1)信仰とは確かな永遠の祝福を確信して受け取ることです。


"彼らは信仰によって、国々を征服し、正しいことを行い、約束のものを手に入れ、獅子の口をふさぎ、火の勢いを消し、剣の刃を逃れ、弱い者なのに強くされ、戦いの勇士となり、他国の陣営を敗走させました。"ヘブル人への手紙 11章33~34節


信仰は永遠の祝福への確信と保証を与えてくれます。たとえ、この世では苦しみだけで終わったとしても希望は消えません。将来の喜びと祝福を確信しながら忍耐することができます。


"女たちは、死んだ身内の者たちをよみがえらせていただきました。また、ほかの人たちは、もっとすぐれたよみがえりを得るために、釈放されることを拒んで拷問を受けました。また、ほかの人たちは嘲られ、むちで打たれ、さらに鎖につながれて牢に入れられる経験をし、また、石で打たれ、のこぎりで引かれ、剣で切り殺され、羊ややぎの皮を着て歩き回り、困窮し、圧迫され、虐待されました。この世は彼らにふさわしくありませんでした。彼らは荒野、山、洞穴、地の穴をさまよいました。これらの人たちはみな、その信仰によって称賛されましたが、約束されたものを手に入れることはありませんでした。神は私たちのために、もっとすぐれたものを用意しておられたので、私たちを抜きにして、彼らが完全な者とされることはなかったのです。"ヘブル人への手紙 11章35~40節


「もうダメだ、自分には何もない」って思っても、神様は全てをお持ちだし、与えようとされてます。それは必ず与えられます。それを受け取るのが信仰です。今、弱さを感じるならそれは祝福を信仰で受け取るための通過点です。心貧しい者は幸いです。(マタイ5.3)「わたしの力は弱さのうちに完全に現れる」と神様は言われます。(2コリント12.9)神様は人の弱さや欠点に関係なく祝福を与えます。それらを受け取る方法はただ一つ、神様への信仰です。信仰が与えられた時に神様の全ての恵みをすでに手に入れています。ハレルヤ!

ヘブル11章1-31節 「信仰は保証であり確信です」 メッセージ

 ヘブル11章1-31節 「信仰は保証であり確信です」 


●信仰はふわっとしたものではない


信仰と聞くと、何かふわふわしたような、現れては消えてしまうようなモヤモヤした曖昧な感じがするけど、でも神様は今日僕らに信仰は保証であって確信させるものだとおっしゃっています。


"さて、信仰は、望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させるものです。"

ヘブル人への手紙 11章1節


望んでいることを保証してくれるものです見えないものを確信させるものです

神様がおられることを確信させ、神様に求める人には報いてくださる方であることを保証してくれます。


"信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神がご自分を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。"

ヘブル人への手紙 11章6節


信仰はそれを保証してくれます。「保証」とは責任を持って約束することです。「絶対に約束守るよ」「これは確かだよ」ってことです。神様が一緒にいてくれること、神様に求める人に必ず答えてくれること、それを保証してくれる確信させてくれるのが信仰です


(リビングバイブル ヘブル11.1)

「信仰とはいったい何でしょう。それは、望んでいることが必ずかなえられるという確信です。また、何が起こるかわからない先にも、その望んでいることが必ず待っていると信じて疑わないことです。」


神様は目に見えないし、神様のことばは聞こえません。なのに、それが確かなものだと保証し確信させてくれるのが信仰です。


※見えないものを体験する身近な例


目に見えないものはたくさんあります。

たとえば臭い。目に見えないけど、確かにあります。

見えない匂いを確信させるために神様は鼻という道具を与えてくれました。

音。目に見えないけど確かにあります。

モスキートーンの例。若い人には聞こえるけど、大人には聞こえません。でも、確かに音はあります。それを聞くことができる道具が耳です。

同じように、神様は見えないものを確信させるために信仰という道具を与えてくださいました。


五感てあります味覚、嗅覚、触覚、視覚、聴覚。それに入らないものを第六感と言ったりします。

なんとなくわかる、という感覚です。霊感という人もいます。神様のことがハッキリわかる感覚を聖書では何というか?それは「信仰」です。霊感でもないし、第六感でもなく信仰です。耳、鼻と同じように、見えないけど確かであるとわかります。


"さて、信仰は、望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させるものです。"

ヘブル人への手紙 11章1節


見えないけど神様います。見えないけど神様に求める人に答えてくれます。

しかも確かです。みんなが聴こえない、という先ほどの音と同じように確かです。


神様は匂いのために鼻をくださいました。音のために耳をくださいました。味のために舌を与えてくれました。そして、神様がおられること、神様のことばが真実であることがわかるために信仰を与えてくれました。見えなくても確信させてくれるのが信仰です。


11章は信仰によって動いた人たちの話です。神様が確かだとわかるから、当たり前のように信仰で動いた人たちの話です。


聞こえるような気がする、というのは曖昧です。見えるような気がする、というのも、匂うような気がするのもいい加減です。でも、信仰は神様のことを確信させてくれます。保証してくれます。

だから信仰はふわふわしたものではなくて、ぼんやりしたものでなく、リアルなものです。望んでいることを保証するもの、確信させるものです。目に見えないものを確信させるものです。"さて、信仰は、望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させるものです。"


質問です―神様以外を信用し頼ろうとして失敗した経験はありますか?


みんな、何かに望みを置き信頼します。ある人は、株に信頼を置きます。この取引を信じます。

ある人は医者を信じます。ある人は薬を信じます。

若い時は人に信頼を置きたいと思うかもしれません。この彼女は私を幸せにしてくれると信じます。この彼氏は私を幸せにしてくれると信じます。


ところが、そっちの方がふわふわしたもので、状況によって変わるものです。

いいと思っていた人が悪かったり、確かだと思っていたものが確かじゃな かったり、儲かると思ったのに損したり、幸せにしてくれると思って一緒になってみたらガッカリさせられたり、よくある話です。


そのような経験が皆さんもあると思います。唯一絶対になくならない保証は神様だけです。

信仰は僕らに保障を与えます。


"さて、信仰は、望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させるものです。"

ヘブル人への手紙 11章1節


この世界は神様以外を信じて傷ついているみたいです。会社を信じて傷つき、結婚を信じて傷つき、株式の取引を信じて傷つきます。神様よりもこの世界を信じることが、どんなに自分たちを傷つけ落胆させるか僕らは経験しています。だのに、それでもやっぱり神様よりもあてにならない力を信じようとさせる誘惑があります。信じるべきは神様とその言葉だけです。


●信仰は神様を体験する入り口


鼻が臭いを確信するように、耳が音を確信するように、信仰は神様のことを確信させてくれます。そして、それは実体があるし、神様の約束が確かです。

だから、信仰で神様のみことばを受け取るときに、神様の愛とか力をリアルに体験することができます。


(3節)

信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、その結果、見えるものが、目に見えるものからできたのではないことを悟ります。


神様の言葉は私に影響を与えます。家族に影響与えます。仕事に影響与え、結婚に影響与え、教育に影響与え、環境問題に影響を与えます。影響を与えるというより、神様の言葉によって全てが動いています。僕らは神様の言葉によって存在し、動いています。それを受け取るのが信仰です。


"信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神がご自分を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。"

ヘブル人への手紙 11章6節


鍵がなければ車が動かないように、信仰がなければ、神様の素晴らしい恵みを体験することができません。信仰は神様の恵みや力を受けるすべての入り口です。

信仰は家の鍵みたいなものです。鍵がないと新築の家に入れません。信仰がないと神様の恵みの世界に入れません。でも、信仰を持ったときに、全ての神様の恵みの約束に入ることができます


"さて、信仰は、望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させるものです。

昔の人たちは、この信仰によって称賛されました。"

ヘブル人への手紙 11章1~2節


●信仰を行動で表す祝福


信仰によって確信を持って行動した実例が11章はズラーっと書いてあります。わかるだけでも27人の実例、無名の人を入れるともっとです。


・アベル


"信仰によって、アベルはカインよりもすぐれたいけにえを神に献げ、そのいけにえによって、彼が正しい人であることが証しされました。神が、彼のささげ物を良いささげ物だと証ししてくださったからです。彼は死にましたが、その信仰によって今もなお語っています。"

ヘブル人への手紙 11章4節


アベルは生まれた家畜の中から最高のものを神様に捧げました。どうしてか?信仰によってです。これらの家畜は見えない神様が与えてくれた、と信仰でわかったからです。

3節からのつながりが大事です。


(3節)信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、その結果、見えるものが、目に見えるものからできたのではないことを悟ります。


世界の良いものは全部見えない神様の言葉で作られ、見えない神様から来てるとアベルは悟りました。ただから神様に1良いものを捧げるのが当然だったし彼の喜びでした。神様もそれを喜び、それは良いささげものだとおっしゃいました。


(4節後半)

そのいけにえによって、彼が正しい人であることが証しされました。神が、彼のささげ物を良いささげ物だと証ししてくださったからです。


信仰でアベルは正しいことを確信してました。見えない神様を確信すると、行動が具体的になります。

彼は最高のものを神様にささげ、喜ばれました。「昔の人たちは、この信仰によって称賛されました。」


僕らが何に1番良い時間を捧げているか、それは何を信じて、何を愛しているかを表します。アベルは1番良いもの、一番高級なもの、一番価値のあるものを神様にささげて神様に喜ばれました。


・エノク


"信仰によって、エノクは死を見ることがないように移されました。神が彼を移されたので、いなくなりました。彼が神に喜ばれていたことは、移される前から証しされていたのです。"

ヘブル人への手紙 11章5節


創世記を見ると、エノクは、神と共に歩んだ、と書かれています。神様は見えないけど、神様と一緒にいることを彼は確信していました。神様はそれをすごく喜んでいました。神様がいる、神様は祈りに応えてくれる、このお手本みたいな人だったようです。それがエノクです。

これも続きが大事。6節はエノクの話の続きです。


"信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神がご自分を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。"

ヘブル人への手紙 11章6節


いつも神様にまず話して、神様と一緒に仕事をしていました。神様と一緒に子育てをし、神様と一緒に妻を愛して、神様と一緒に地を耕していたことがわかります。彼はすごく喜ばれていました。神様に求める時に答えてくださることを毎日体験していました。仕事をする時、種を蒔くとき、いつも神様と一緒です。エノクの人生は神様への信仰が表れていました。信仰は僕らの行動を決めます。何を信頼し、何を優先しているかが行動によって現れます。


車のブレーキを信じているから車に乗ります。「ブレーキは大丈夫」と口で言っても「でも危ないから乗らない」ならその人は実はブレーキを信じていません。同じように神様を信じると言っても、神様を信じた行動をしないなら、実は信じていません。


・アブラハム


"ああ愚かな人よ。あなたは、行いのない信仰が無益なことを知りたいのですか。

私たちの父アブラハムは、その子イサクを祭壇に献げたとき、行いによって義と認められたではありませんか。

あなたが見ているとおり、信仰がその行いとともに働き、信仰は行いによって完成されました。

「アブラハムは神を信じた。それで、それが彼の義と認められた」という聖書のことばが実現し、彼は神の友と呼ばれたのです。"

ヤコブの手紙 2章20~23節


アブラハムは息子をささげました。神様はこの息子から海の砂のような子孫が増えるとおっしゃったんだから、もし死んでも復活すると信じていました。神様がおっしゃったことはそのようになる、と確信させ保証してくれるものが信仰です


・ノア


"信仰によって、ノアはまだ見ていない事柄について神から警告を受けたときに、恐れかしこんで家族の救いのために箱舟を造り、その信仰によって世を罪ありとし、信仰による義を受け継ぐ者となりました。"

ヘブル人への手紙 11章7節


神様がおっしゃった事は絶対にそのようになると確信したから、今は雨が降ってもないけど箱舟を作りました。神様が洪水によってこの世界を滅ぼすとおっしゃったし、家族を救うために箱舟を作りなさい、と神様がおっしゃったからです。信仰は行動に現れます。信仰とは確信です。そして、確信があるから行動します。


信仰がどんな行動を生むのか、11章全体を簡単にいいます。


4節 信仰によって優れたいけにえを神様に捧げます

5節 信仰によって神様に喜ばれ神様のもとに移されます

7節 信仰によって、箱舟を作ります

8節 信仰によってどこに行くか知らないで従って行きます

9節 信仰によって不便な天幕生活をします

11節 信仰によって歳をとっても子供を産みます

17節 信仰によって自分の愛する子供を捧げます

20節、21節 信仰によって子供たちを祝福します


22節 信仰によって自分の遺骨がエジプトではなく、カナンに埋葬されるように語ります

23節 信仰によって王様の命令を恐れず、赤ちゃんモーセを生かしておきます

24節 信仰によって王様の怒りを恐れることなく、神様の民と一緒に苦しむことを選びます


信仰はただのふわっと感情ではありません。信仰は確信であり、確信は行動に出ます。

信仰が与えられると行動が与えられます。

信仰生活は、ただ日曜日に教会に来て座ってるだけではありません。毎時間、毎分、神様の言葉を確信して行動に移すことです。

この信仰がなければ、神様を喜ばせることができません


皆さんにとっても同じです。

イエス様を信じることは、その言葉を表すことです。

神様がこうしなさいと言われたら、それを確信して行動することです。神様と人が共に働き、神様の御業がなされ、神様の歴史が動きます。


神様だけで何でもできます。人を使わなくても大丈夫です。だのに、わざわざ神様は人間を作り、人間を愛し、パートナーとして、同労者として神様の言葉を信仰で受け取って共に働く者として僕らを作ってくださいました。信仰は行動に出ます。信仰によって僕らは神の言葉を体験とします。それによって神様の歴史が動いていきます。


●信仰は神様の言葉を聞くことから


信仰は神様からのプレゼントです。

だからまずはこの信仰は聞くことから始まると聖書は言います。


(ローマ10章17節)

ですから、信仰は聞くことから始まります。聞くことは、キリストについてのことばを通して実現するのです。


リアルな神様の言葉をまず聞きます。そして、それを信仰で受け取ります。まず聞くのが先です。さっきの音のように、本当に音はあります。それを受け取るのが信仰です。


まず聞くこと、読むことです。枕元に聖書を置くだけでは信仰はもらえません。集会に出て感情的に盛り上がって、「あの時はよかった!涙が出た!」それも恵みだけど、それだでは終わりません。

聖書の言葉を聞かなきゃならないのが大前提です。

神様の言葉と神様が与えてくれる信仰が一緒に働いて、リアルな神様体験をしていきます。


信仰は目に見えないものを現実のものとして保障し確信し体験させるものです。信仰がなければ神様に喜ばれません。神様のみことばは実際にそのようになります。だから聞きましょう。そして確信して動きましょう。神様に喜ばれます。歴史は信仰とともに動きます


小さな1歩でもいいから信じて行動しましょう。AかBか迷ったら信仰的な方を選びましょう。信仰は成長します。僕らが描いた将来よりももっと素晴らしいご計画を実現させてくれます。


信仰を求めましょう。信仰を持っている人は神様の恵みやご計画のすべて持ちます。信仰は鍵です。信仰は祝福をもたらします。ハレルヤ!