2025年5月27日火曜日

ヘブル12.1-13

 ヘブル12.1-13


人生疲れます。でも疲れ果ててしまわないための方法があります。それはイエス様が愛する仲間から裏切られ、ののしられながらも復活と勝利を確信して忍耐されたことを考えることです。



"あなたがたは、罪人たちの、ご自分に対するこのような反抗を耐え忍ばれた方のことを考えなさい。あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないようにするためです。"

ヘブル人への手紙 12章3節



神様の願いは「ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず」勝利と栄光を確信して忍耐することです。(1ペテロ2.23)神様は「私たちをご自分の聖さにあずからせようと」しています。(12.10)聖くされることはイエス様のキャラに似ていくことです。そのためには、どうしても訓練が必要です。



"肉の父はわずかの間、自分が良いと思うことにしたがって私たちを訓練しましたが、霊の父は私たちの益のために、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして訓練されるのです。"

ヘブル人への手紙 12章10節



実際の訓練メニューは、人々から裏切られたり苦しめられたりすることです。…でも怖がらなくて大丈夫です。筋トレも初心者はちょうど良い重さから始めます。最高のトレーナーである神様は僕らにベストな負荷をかけてくれます。ちょうど良い苦しみの中でイエス様のお手本を見上げ、神様に喜ばれていることを僕らも喜びながら忍耐する訓練です。



"信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい。この方は、ご自分の前に置かれた喜びのために、辱めをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されたのです。

あなたがたは、罪人たちの、ご自分に対するこのような反抗を耐え忍ばれた方のことを考えなさい。あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないようにするためです。"

ヘブル人への手紙 12章2~3節



この訓練は苦しみの中で先にある希望と喜びを見て忍耐する訓練です。

イエス様は人々に苦しめられましたが、その目線は「ご自分の前に置かれた喜び」でした。(2)イエス様は復活と栄光の喜びを見ながら、十字架の苦しみを忍耐されました。同じように、僕らも苦しみの中で祈り、敵を赦し愛する決断を選ぶなら神様に喜ばれています。



"わたしのために人々があなたがたをののしり、迫害し、ありもしないことで悪口を浴びせるとき、あなたがたは幸いです。

喜びなさい。大いに喜びなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのですから。あなたがたより前にいた預言者たちを、人々は同じように迫害したのです。"

マタイの福音書 5章11~12節



人から受ける攻撃やストレスは、イエス様に似ていくためにどうしても必要なプロセスです。神様はそのような通過点をあえて通らせます。愛されている子どもにはベストな訓練が必要だからです。だから気落ちしたり、疲れ果てたり、投げ出したりする必要はありません。それは今、一番いい重さです。



"そして、あなたがたに向かって子どもたちに対するように語られた、この励ましのことばを忘れています。「わが子よ、主の訓練を軽んじてはならない。主に叱られて気落ちしてはならない。

主はその愛する者を訓練し、受け入れるすべての子に、むちを加えられるのだから。」"

ヘブル人への手紙 12章5~6節



悲しいけど喜びましょう、きついけど忍耐しましょう。イエス様は苦しみの中でも神様に喜ばれていました。同じように僕らも喜ばれています。



"信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい。この方は、ご自分の前に置かれた喜びのために、辱めをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されたのです。

あなたがたは、罪人たちの、ご自分に対するこのような反抗を耐え忍ばれた方のことを考えなさい。あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないようにするためです。"

ヘブル人への手紙 12章2~3節



痩せガマンでなくいいましょう。「神様、つらいです。でも、あなたのように仕返しをせずに忍耐し愛することを選びます。この苦しみもイエス様に似た聖なるものに近づける道具として使ってください。」「主よ、心が痛すぎます。でも、あなたのように赦しの道を選べるように、私の心を作り変えてください。」



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