ヘブル11.32-40
「もうダメだ、自分には何もない」って思っても、信仰が与えられた時に神様の全ての恵みをすでに手に入れています。僕らは自分や他人の欠点とか地位とか能力とか、目に見えることで将来を決めつけ、悲観したりします。でも、神様は弱い人に力を与え、人の能力や欠点に関係なく祝福を与えます。それらを受け取る方法はただ一つ、神様への信仰です。信仰とは神様の祝福を見えるかのように確信させてくれるものです。
ギデオンと言う人は、イスラエルの中でも一番貧しい家の出身で、何も持たない弱い人でした。だのに、彼は敵を打ち負かし勝利しました。ただ神様の言葉を信仰で受け取り従ったからです。(士師記6章から7章)
"彼らは信仰によって、国々を征服し、正しいことを行い、約束のものを手に入れ、獅子の口をふさぎ、火の勢いを消し、剣の刃を逃れ、弱い者なのに強くされ、戦いの勇士となり、他国の陣営を敗走させました。"ヘブル人への手紙 11章33~34節
バラクという人は心配性で、神様の勝利を聞きながらも女預言者に頼り、「もしあなたが私と一緒に行ってくださらないなら、行きません。」と言うような弱い人です。(士師記4章8節)それでも神様は彼を用いて勝利させてくださいました。神様の言葉は、人間の弱さとか欠点を遥かに超えています。
サムソンは、女性に弱く、かつ、怒りにまかせて行動するような人でした。好きだった女性に最後は裏切られ、敵に売られ、目をえぐり取られて見せ物にされた人です。それでも、そのどん底の中でもう一度神様を信じて祈ります。最後は大逆転勝利をすることができました。(士師13章から16章)
"これ以上、何を言いましょうか。もし、ギデオン、バラク、サムソン、エフタ、またダビデ、サムエル、預言者たちについても語れば、時間が足りないでしょう。"ヘブル人への手紙 11章32節
エフタという人は、娼婦の子どもです。人々から馬鹿にされ、追い出され、ならず者と付き合っていました。そんな彼が敵国に勝利するリーダーになりました。(士師11章)
どんなに弱い人であっても、見下された人であっても、欠点があっても、貧しくても、信仰が与えられたときに神様の祝福と勝利を手に入れます。ダビデも、サムエルも弱い人だったのに、ただ神様によって強くされた人たちです。「信仰は、望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させるものです。」(1)信仰とは確かな永遠の祝福を確信して受け取ることです。
"彼らは信仰によって、国々を征服し、正しいことを行い、約束のものを手に入れ、獅子の口をふさぎ、火の勢いを消し、剣の刃を逃れ、弱い者なのに強くされ、戦いの勇士となり、他国の陣営を敗走させました。"ヘブル人への手紙 11章33~34節
信仰は永遠の祝福への確信と保証を与えてくれます。たとえ、この世では苦しみだけで終わったとしても希望は消えません。将来の喜びと祝福を確信しながら忍耐することができます。
"女たちは、死んだ身内の者たちをよみがえらせていただきました。また、ほかの人たちは、もっとすぐれたよみがえりを得るために、釈放されることを拒んで拷問を受けました。また、ほかの人たちは嘲られ、むちで打たれ、さらに鎖につながれて牢に入れられる経験をし、また、石で打たれ、のこぎりで引かれ、剣で切り殺され、羊ややぎの皮を着て歩き回り、困窮し、圧迫され、虐待されました。この世は彼らにふさわしくありませんでした。彼らは荒野、山、洞穴、地の穴をさまよいました。これらの人たちはみな、その信仰によって称賛されましたが、約束されたものを手に入れることはありませんでした。神は私たちのために、もっとすぐれたものを用意しておられたので、私たちを抜きにして、彼らが完全な者とされることはなかったのです。"ヘブル人への手紙 11章35~40節
「もうダメだ、自分には何もない」って思っても、神様は全てをお持ちだし、与えようとされてます。それは必ず与えられます。それを受け取るのが信仰です。今、弱さを感じるならそれは祝福を信仰で受け取るための通過点です。心貧しい者は幸いです。(マタイ5.3)「わたしの力は弱さのうちに完全に現れる」と神様は言われます。(2コリント12.9)神様は人の弱さや欠点に関係なく祝福を与えます。それらを受け取る方法はただ一つ、神様への信仰です。信仰が与えられた時に神様の全ての恵みをすでに手に入れています。ハレルヤ!
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