レビ25.35-55
友人の家に行ったら、娘さんが大好きなアイドルグループのポスターを貼りまくっていました。
その家ではそのアイドルの悪口は言えません。同じように、神様の前では神様が愛している人の悪口は言えません。神様はイスラエル人を否定したり奴隷にしたりしてはいけないとおっしゃいます。それは神様の大事な人だからです。
イスラエル人たちは生活が苦しくなって自分から奴隷になった人もいたようです。それでも、神様はその人を奴隷のようには扱わず、住み込みの雇い人としなさい、といいます。どんなになっても神様にとっては愛するしもべです。
"もし、あなたのもとにいるあなたの兄弟が落ちぶれて、あなたに身売りしても、彼を奴隷として仕えさせてはならない。
彼はあなたのもとでは雇い人か居留者のようでなければならず、ヨベルの年まであなたのもとで仕える。
こうして彼とその子らはあなたのもとから出て行き、自分の一族のもと、自分の先祖の所有地に帰る。
彼らは、わたしがエジプトの地から導き出した、わたしのしもべである。奴隷の身分として売られてはならない。"
レビ記 25章39~42節
"あなたがたの同胞であるイスラエルの子らは、互いに酷使し合ってはならない。"
レビ記 25章46節
神様の所有である人たちを大事にすることは、神様を敬うことです。神様を愛することは神様が愛している人を愛することです。イスラエル人たちもクリスチャンたちも神様の大事な人たちです。
ある時、代車に乗ったら厳しい警告のシールが貼ってありました。
「車内での喫煙は厳禁です。違反が確認された場合、清掃費用をご請求いたします。」
このメッセージは、この車はあなたのものではありません。会社の大事なものです、汚さないように大事に使ってくださいという警告です。同じように、イスラエル人たちは神様の大事な人たちです。どんなに貧しくなってもです。また、クリスチャンは神様のものです。どんなに失敗しても、落ちぶれても貧しくなってもです。神様は大事に扱うように警告されます。最悪な状況に堕ちたとしても、神様は取り戻そうとされます。
"身を売った後でも、その人には買い戻される権利がある。彼の兄弟の一人が彼を買い戻すことができる。"
レビ記 25章48節
"彼は年ごとに雇われる者のように扱われなければならない。あなたの目の前で酷使されてはならない。"
レビ記 25章53節
"イスラエルの子らは、このわたしのしもべだからである。彼らは、わたしがエジプトの地から導き出した、わたしのしもべである。わたしはあなたがたの神、主である。"
レビ記 25章55節
もし僕らが他人の所有物のようになり、人格を否定されたり搾取されたりしているなら、神様は取り戻そうとされます。「この人はわたしのものだ」と神様は宣言してくださっています。
僕らは神様のしもべです。教会の仲間も神様のものです。どんなに落ちぶれても、それは変わりません。
大事にしましょう。失敗しても、貧しくなっても、大事な人です。愛しましょう。
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