2025年5月11日日曜日

ヘブル3.12-13

 ヘブル3.12-13

「ソロ活のススメ」とか、「お一人様」が推奨されたりします。ますます個人主義の時代で、僕も干渉されたくないなあ、と思います。ところが神様は、それと真っ向反対のことを強調します。神様の愛は、傷つけられたり傷ついたりするリスクを覚悟の上で、それでもイエス様がしてくださったように人と一緒に歩み、励まし、一緒に神様に近づくことです。「自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい。」です。(ピリピ2.4)

教会に集まらなくてもOK大丈夫!と言って「自分たちの集まりをやめたり」(ヘブル10章24節)する人がいると聖書は言います。…ところが神様はそれに真っ向反対します。励ましあわない、愛しあわない、干渉しないのでなく、むしろ離れないように、惑わされないように集まって励ましあいなさい、と聖書は繰り返します。


"兄弟たち。あなたがたのうちに、不信仰な悪い心になって、生ける神から離れる者がないように気をつけなさい。「今日」と言われている間、日々互いに励まし合って、だれも罪に惑わされて頑なにならないようにしなさい。"ヘブル人への手紙 3章12~13節


僕らは放置されると「不信仰な悪い心」(ヘブル3章12節)に簡単にはまってしまいます。神様がくださる永遠の安息に入れず、(3章15-19節)泣いて歯ぎしりしても遅いです。ガンコになって神様から離れてしまった結果の悲惨さを思い出すように、と神様は言われます。


(7-12節)7,ですから、聖霊が言われるとおりです。「今日、もし御声を聞くなら、8,あなたがたの心を頑なにしてはならない。荒野での試みの日に神に逆らったときのように。9,あなたがたの先祖はそこでわたしを試み、わたしを試し、四十年の間、わたしのわざを見た。10,だから、わたしはその世代に憤って言った。『彼らは常に心が迷っている。彼らはわたしの道を知らない。』11,わたしは怒りをもって誓った。『彼らは決して、わたしの安息に入れない。』」12,兄弟たち。あなたがたのうちに、不信仰な悪い心になって、生ける神から離れる者がないように気をつけなさい。


イエス様の願いは「毎日」(使徒2.44-46)互いに支えあうことです。神様からの愛を力にしてもらい、互いに支えあう教会に神様は新しい人たちを招き、加え、増やしてくださいます。


(使徒2:44-46) 信者となった者たちはみないっしょにいて、いっさいの物を共有にしていた。そして、資産や持ち物を売っては、それぞれの必要に応じて、みなに分配していた。そして毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、神を賛美し、すべての民に好意を持たれた。主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった。


神様との関係が自分だけでは完成しえないのは明白です。ソロ活だと愛し合い支えあうことがありません。神様の家族は、いろんな材料が組み合わさって出来上がるような建物のようです。(エペソ2.20-22)役目の違う器官が合わさって、一つの体となるかのようです。(1コリント12章)ところが聖書によると、集まるのやめてもOK大丈夫、と言う「ある人たちの習慣」があったようです。(ヘブル10章24節)その教えは不信仰への入り口です。それとは逆に、ますます励ましあいなさい。集まって愛し合いなさいと聖書は強調します。


"また、愛と善行を促すために、互いに注意を払おうではありませんか。ある人たちの習慣に倣って自分たちの集まりをやめたりせず、むしろ励まし合いましょう。その日が近づいていることが分かっているのですから、ますます励もうではありませんか。"ヘブル人への手紙 10章24~25節


神様の愛は、めんどくさくて傷つけられたり傷ついたりするリスクを覚悟の上で、イエス様がしてくださったように人と一緒に歩み、励まし、一緒に近づく事です。僕らは弱いものです。「不信仰な悪い心」(3章12節)はいつも僕らを誘惑しまとわりつきます。今日も自分のことだけでなく、他の人のことも気にかけ、祈り、イエス様の愛を行動に表しましょう。イエス様の願いは互いに愛し合うこと、支えあうことです。



0 件のコメント:

コメントを投稿