2025年5月12日月曜日

ヘブル4章

 ヘブル4章


聖書は何度も「安息」と繰り返します。ヘブル4章だけでも10回です。

神様の願いは僕らが「安息」することです。ゴールは完璧な安息です。地上ではみんな何かと戦って、心配ごとばかりで、不安も悩みも尽きません。心がザワついてる人にとって、「安息」はもう戦わなくていい、もう心配しなくて大丈夫、神様に愛され満たされる世界です。その安息が用意されています。



(9-10節)

したがって、安息日の休みは、神の民のためにまだ残されています。

神の安息に入る人は、神がご自分のわざを休まれたように、自分のわざを休むのです。



この安息は、将来の話でもあるし、今ここで、イエス様と一緒に生きる毎日の「安息」のことでもあります。この瞬間も、「神様、もう自分の力で生きるの疲れました。イエス様に全部任せます。あなたの中で休みたいです。」委ねることをお勧めします。神様は安息を与えたいと願っておられます。

安息は将来のぼんやりしたものでなく、かなり具体的で、ヘブル4章はその中でも3つの「安息」の例が書かれています。



・その1 エデンの園の安息


神さまは世界を6日間かけて創って、7日目に「休んだ」って書いてあります。それは喜びと祝福しかない完全な世界でした。


(4-6節)

なぜなら、神は第七日について、あるところで「そして神は、第七日に、すべてのわざを終えて休まれた」と言われ、(…中略…)ですから、その安息に入る人々がまだ残っていて…



神様がすべてを終えて、「神はご自分が造ったすべてのものを見られた。見よ、それは非常に良かった。」(創世記1.31)とあります。そこは満足と喜びしかありませんでした。こんなに満たされていたのに人は誘惑に負けて高ぶり、罪を犯し、その安息から追い出されてしまいました。



(5)

そのうえで、この箇所で、「彼らは決して、わたしの安息に入れない」と言われたからです。



それでも神様はもう一度安息の場所へと導いてくださいました。それがカナンの地です。



・その2 カナンの地(乳と蜜の流れる地)の安息。


神様はイスラエルの民をカナンの地に導いてくださいました。そこは乳と蜜の流れる平和と祝福の地でした。全てが満たされまさに「安息」できる土地のはずでした。


(レビ26.5-6)

あなたがたの麦打ちはぶどうの取り入れ時まで続き、ぶどうの取り入れは種蒔きの時まで続く。あなたがたは満ち足りるまでパンを食べ、安らかに自分たちの地に住む。

また、わたしはその地に平和を与える。あなたがたはだれにも脅かされずに寝る。また、わたしは悪い獣をその国から除く。剣があなたがたの地を行き巡ることはない。


だのに、イスラエル人たちは神様の約束を破り、ガンコになり、反抗し、ほとんどの人は安息に入ることができませんでした。



(ヘブル3.16-19)

では、聞いていながら反抗したのは、だれでしたか。モーセに率いられてエジプトを出た、すべての者たちではありませんか。

神が四十年の間、憤っておられたのは、だれに対してですか。罪を犯して、荒野に屍をさらした者たちに対してではありませんか。

また、神がご自分の安息に入らせないと誓われたのは、だれに対してですか。ほかでもない、従わなかった者たちに対してではありませんか。

このように、彼らが安息に入れなかったのは、不信仰のためであったことが分かります。



それでも、神様は諦めずに安息を与えようとしておられます。



(8-9節)

もしヨシュアが彼らに安息を与えたのであれば、神はその後に別の日のことを話されることはなかったでしょう。

したがって、安息日の休みは、神の民のためにまだ残されています。



・その3 天国での安息。


これは僕らが入ることになっている新しい天地での永遠の安息です。

多くの先輩たちが入れなかったように、同じ失敗をしないように、と神様は何度も僕らに警告してくださっています。


(7節)

神は再び、ある日を「今日」と定め、長い年月の後、前に言われたのと同じように、ダビデを通して、「今日、もし御声を聞くなら、あなたがたの心を頑なにしてはならない」と語られたのです。


(11節)

ですから、だれも、あの不従順の悪い例に倣って落伍しないように、この安息に入るように努めようではありませんか。



以上3つは神様が用意してくださってるリアルな安息です。

完全な喜びと安心です。「神の安息に入る人は、神がご自分のわざを休まれたように、自分のわざを休むのです。」(10)この安息は、未来のことだけど、同時に今日も体験することができます。


「キリストを信じる」ことは、ただ頭で「うん、神さまっているよね」ではなく、本当に信頼して、体重を預けることです。預けて、お任せする決断です。それが「信仰によって結びつけ」(2)られる「安息」です。


自分の行いや力で神に近づこうとするのをやめて、平安を与えてくださるイエス様を100%信頼しましょう。イエス様は「わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。」とおっしゃいます。未来でなく、今日も求める人に与えてくれます。(ヨハネ14.27)

疲れたら「助けて」って神様に言いましょう。今日も神様は安息を与えたいと願っておられます。ハレルヤ!



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