2025年5月14日水曜日

ヘブル6.1-12

 ヘブル6.1-12


あの時神様すごかったなぁ!とか、あの賛美集会やばかったなぁ、とか、すばらしい体験が与えられることがあります。ところが、そんな体験も過去のものとなり、「そんな時もあったな…」と神様を忘れて罪の生活に落ちていくことがあります。「あんなに素晴らしかった牧師さんが今は…」とかよくある話です。



"一度光に照らされ、天からの賜物を味わい、聖霊にあずかる者となって、神のすばらしいみことばと、来たるべき世の力を味わったうえで、堕落してしまうなら、そういう人たちをもう一度悔い改めに立ち返らせることはできません。彼らは、自分で神の子をもう一度十字架にかけて、さらしものにする者たちだからです。"ヘブル人への手紙 6章4~6節



照らされ、賜物が与えられ、聖霊とみことばに満たされ、将来の栄光を味わっても堕落することがあるようです。

最後までちゃんと実ためには雨と光を受け続ける必要があります。昔こうだった、ではダメです。



"たびたび降り注ぐ雨を吸い込んで、耕す人たちに有用な作物を生じる土地は、神の祝福にあずかりますが、"ヘブル人への手紙 6章7節



ご飯一食で1週間もつ?と聞かれたら無理です。風呂に一回入ったからもう一生入らなくていい、ともなりません。大事なのは昔の体験でなく今日の神様との関係です。神様のことばは僕らに希望と確信を与える霊的な糧です。神様は嘘をつきません。「神様がそうおっしゃるから、そう受け取ります」毎日それが必要です。



私たちが切望するのは、あなたがた一人ひとりが同じ熱心さを示して、最後まで私たちの希望について十分な確信を持ち続け、

その結果、怠け者とならずに、信仰と忍耐によって約束のものを受け継ぐ人たちに倣う者となることです。"

ヘブル人への手紙 6章11~12節



嵐の中でも碇を下ろせば安定するのと同じように、神様の言葉はどんなにぐらつく時で確かな希望を与えてくれます。しかも、それは現実のものとなります。



"それは、前に置かれている希望を捕らえようとして逃れて来た私たちが、約束と誓いという変わらない二つのものによって、力強い励ましを受けるためです。その二つについて、神が偽ることはあり得ません。

私たちが持っているこの希望は、安全で確かな、たましいの錨のようなものであり、また幕の内側にまで入って行くものです。"

ヘブル人への手紙 6章18~19節



昔の感動もいいけど、やっぱり今日の神様からの言葉です。信仰と希望は、神様の御言葉によって与えられ続けます。ハレルヤ!




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