2025年5月15日木曜日

ヘブル6.13-20

 ヘブル6.13-20


「神に誓って私はこのようにします」「神に誓って嘘は言いません」と言うことがあります。国会の証人喚問でも誓いがあるそうです。偽証した場合は罪に問われます。それでも人の誓いなんてはいい加減です。状況や気分が変われば他のことを言い出します。ところが、神様の誓いは絶対です。その誓いは必ず果たされます。神様は僕らに誓って祝福を宣言してくれています。



"神は、アブラハムに約束する際、ご自分より大いなるものにかけて誓うことができなかったので、ご自分にかけて誓い、

「確かにわたしは、あなたを大いに祝福し、あなたを大いに増やす」と言われました。"

ヘブル人への手紙 6章13~14節



この誓いをいつも思い出してアブラハムは苦しくても希望を持ち続けることができました。神様の誓いだけが絶対に実現すると信じたからです。そしてこの祝福は実現します。神の誓いだからです。



"このようにして、アブラハムは忍耐の末に約束のものを得たのです。"

ヘブル人への手紙 6章15節



神様の誓いは人間の迷いや不安を取り除きます。神の誓いは保証です。



"確かに、人間は自分より大いなるものにかけて誓います。そして、誓いはすべての論争を終わらせる保証となります。

そこで神は、約束の相続者たちに、ご自分の計画が変わらないことをさらにはっきり示そうと思い、誓いをもって保証されました。"

ヘブル人への手紙 6章16~17節



アブラハムの孫のヤコブはおじさんのラバンにだまされ、苦しめられ、何年も利用され続けました。ようやく逃れられたと思ったらラバンが怒って追いかけてきます。殺されるかもしれないと思いました。おじさんが去ってホッとしたのも束の間で、今度は兄のエサウが400人を連れて近づいてきます。兄は「お前を殺してやる」と言っていた人です。怖い、ピリついた時間が続きます。今度こそ殺されるかもしれません。そんな時、ヤコブは一番良い、賢いことをしました。それは「神様の誓いを確認すること」「神様の約束をかかげて祈ること」です。


(創世記32章9節-12節)

ヤコブは言った。「私の父アブラハムの神、私の父イサクの神よ。私に『あなたの地、あなたの生まれた地に帰れ。わたしはあなたを幸せにする』と言われた主よ。私は、あなたがこのしもべに与えてくださった、すべての恵みとまことを受けるに値しない者です。(…中略…)あなたは、かつて言われました。『わたしは必ずあなたを幸せにし、あなたの子孫を、多くて数えきれない海の砂のようにする』と。」



アブラハムも、ヤコブも神様の誓いの通りになりました。神様からの誓いは苦しみの中の希望だし、励ましです。神様に嘘はないからです。

彼らと同じように、僕らにも神様の祝福の誓いがあります。「信仰による人々が、アブラハムとともに祝福を受ける」(ガラテヤ3:9)「あなたがたがキリストのものなら、アブラハムの子孫です」(ガラテヤ3:29)神様が偽ったり、「ごめん、気が変わった…」ということはありえません。神様の約束と誓いは僕らを力づけ励まします。



"それは、前に置かれている希望を捕らえようとして逃れて来た私たちが、約束と誓いという変わらない二つのものによって、力強い励ましを受けるためです。その二つについて、神が偽ることはあり得ません

ヘブル人への手紙 6章18節



「人間の契約でも、いったん結ばれたら、だれもそれを無効にしたり、それにつけ加えたりはしません。」(ガラテヤ3.15)ましてや、神様の誓いは絶対です。僕らを神様の子どもとして喜び、祝福してくださるのは絶対的な誓いです。試練があっても愛されています。祝福されています。今日も神様の誓いは変わりません。大丈夫です。脱出と喜びが待っています。ハレルヤ!


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