ホセア1章
神様は人間を用いてメッセージを伝えます。しかも神様の気持ちを実際に味わわせてから用いる場合があります。ホセアは人々に裏切られる神様の悲しみと怒りを伝えます。が、ホセア自身がまず妻に裏切られる悲しみを経験させられます。
(2)
主がホセアに語られたことのはじめ。主はホセアに言われた。「行って、姦淫の女と姦淫の子らを引き取れ。この国は主に背を向け、淫行にふけっているからだ。」
ホセアは姦淫の女を妻にするように言われます。愛する妻が自分から離れ他の男を求めて出ていってしまうのは、めちゃくちゃつらいことです。ホセアは、深い苦しみと嫉妬を味わいます。それは神様がイスラエルに対して感じている怒りと悲しみです。ホセアは裏切られ浮気されることがどんなに辛く苦しいかを体験させられます。この妻は嫌がることをし続けます。それはイスラエルが「主に背を向け、淫行にふけっている」のと同じです。イスラエルの偶像礼拝は神様にとっては淫行です。耐えられないような屈辱です。
神様は生まれた子どもの名前に神様からの怒りのメッセージをつけるように命じます。1人目の子どもの名前「イズレエル」は、神様の怒りが溢れてイズレエルにある平原でイスラエルを滅ぼす、というメッセージです。
(4-5)
主は彼に言われた。「その子をイズレエルと名づけよ。しばらくすれば、わたしがイズレエルでの流血のゆえにエフーの家を罰し、イスラエルの家の王国を終わらせるからだ。
その日、わたしはイズレエルの平原で、イスラエルの弓を折る。」
2人目の名前は「ロ・ハルマ」です。意味は「神様はもうイスラエルを憐まれない」です。繰り返し浮気を続けるイスラエルに対しては憐れみも赦しもありません。神様は「決して彼らを赦さない」と言われます。(6)
(6)
ゴメルはまた身ごもって、女の子を産んだ。主は彼に言われた。「その子をロ・ルハマと名づけよ。わたしはもう二度とイスラエルの家をあわれむことはなく、決して彼らを赦さないからだ。
3人目の子どもの名前は「ロ・アンミ」、意味は「わたしの民ではない」です。妻は淫行にふけり、この子の父親が誰だかわからなくなっていたかもしれません。ホセアにとっては最悪の状況です。同じようにイスラエルは偶像を慕い求め淫行にふけります。神様はここでイスラエルとの別れを宣言します。
(9)
主は言われた。「その子をロ・アンミと名づけよ。あなたがたはわたしの民ではなく、わたしはあなたがたの神ではないからだ。」
罪は限界を超え、神様の怒りは頂点に達しました。別れの宣言は当然です。ところが、この話には続きがあります。「あなたがたはわたしの民ではない」と宣言されたのにもかかわらず、もう一度彼らが受け入れられる日が来ます。
(10-11)
イスラエルの子らの数は、量ることも数えることもできない海の砂のようになる。「あなたがたはわたしの民ではない」と言われたその場所で、彼らは「生ける神の子ら」と言われる。
ユダの人々とイスラエルの人々は一つに集められ、一人のかしらを立ててその地から上って来る。まことに、イズレエルの日は大いなるものとなる。
この箇所を新約聖書は次のように説明しています。
"もし神が、御怒りを示してご自分の力を知らせようと望んでおられたのに、滅ぼされるはずの怒りの器を、豊かな寛容をもって耐え忍ばれたとすれば、どうですか。(…中略…)
それは、ホセアの書でも神が言っておられるとおりです。「わたしは、わたしの民でない者をわたしの民と呼び、愛されない者を愛される者と呼ぶ。
あなたがたはわたしの民ではない、と言われたその場所で、彼らは生ける神の子らと呼ばれる。」"
ローマ人への手紙 9章22~26節
イスラエルも、そして僕ら異邦人も、滅ぼされるはずの怒りの器です。壊されて当然、捨てられて当然です。ところが、神様は「愛されない者を愛される者と呼ぶ。」(ローマ9.25)と言ってくださいます。
神様が嫌がることを楽しんできたイスラエルです。僕らもそうです。神様は怒ります。その怒りと呪いをイエス様が十字架の上で身代わり引き受けてくださいました。あの十字架の姿は神様の怒りを受けて見捨てられた罪人の姿です。
ホセアが神様の苦しみをリアルに体験したように、イエス様は僕らの身代わりに神の怒りと呪いを受けてくださいました。滅ぼされて当然、捨てられて当然な僕らのために、そしてイスラエルのためにイエス様は十字架で血を流してくださいました。あの十字架の血によって、神様と僕らは和解しました。
(11)
ユダの人々とイスラエルの人々は一つに集められ、一人のかしらを立ててその地から上って来る。まことに、イズレエルの日は大いなるものとなる。
「一人のかしら」とはイエス様です。イエス様によって、僕らはどこの人であってもどんなに汚れた過去があっても集められます。みんなが「あんな奴教会に入れたくない」「あんな人たちは死んだ方がいい」「あんなヒドイ国だから…」と言うのは当然です。だのに、天のお父さんは汚れ切った自分の放蕩息子を抱きしめ、受け入れてくださいます。(ルカ15章)兄は文句を言います。「遊女におぼれてあなたの身代を食いつぶして帰って来た」と。それでも父は言います。「おまえの弟は、死んでいたのが生き返って来たのだ。いなくなっていたのが見つかったのだから、楽しんで喜ぶのは当然ではないか。」(ルカ15.32)神様は僕らを、そしてイスラエルを回復させてくださいます。イエス様の十字架の血は完全に僕らをきよめます。イエス様の十字架以外に、回復はありません。この方以外には、だれによっても救いはありません。(使徒4.12)ハレルヤ!
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