エレミヤ51.1-19
「神様を裏切って、神様の怒りで滅ぼされ見捨てられて当然なのに、神様は見捨てることがなく、赦し、救い出してくださった」これが、僕らの感謝の理由、賛美の理由、礼拝の理由です。
エレミヤの時代のイスラエルもユダも神様から離れて罪で満ちていたけれども、それでも見捨てられなかったと聖書はいいます。
"しかし、イスラエルもユダも、その神、万軍の主に見捨てられることはない。彼らはイスラエルの聖なる方から離れ、彼らの地は罪過で満ちていたが。"
エレミヤ書 51章5節
神様に対してひどいことをしたのに、それでも救われて、義とされたのは100%神様のおかげです。「僕がああした、こうした」という誇りは何もありません。聖書は「神のみわざを」語ろう、と呼びかけます。純度100パーセントの神様のみわざです。
"主は私たちの義を明らかにされた。さあ、私たちはシオンで、私たちの神、主のみわざを語ろう。"
エレミヤ書 51章10節
神様は怒る方だし復讐する方です。この当時のバビロンは神様の怒りで滅ぼされました。イスラエルもユダも滅ぼされておかしくなかったのに、神様は滅びの中から逃げなさい、救われなさいとおっしゃいます。
"バビロンの中から逃げ、それぞれ自分自身を救え。バビロンの咎のために絶ち滅ぼされるな。これは、主の復讐の時、主がこれに報いをなさるからだ。"
エレミヤ書 51章6節
救われるか、滅びるかの違いは、神様の憐れみや恵みを信じてより頼むか、それとも、自分の知恵とか力により頼むか、です。バビロンは最後まで自分の力と財宝により頼んで滅びました。
"大水のほとりに住む、財宝に富む者よ。おまえの最期、おまえの寿命が尽きる時が来た。"
エレミヤ書 51章13節
人々がどんなにすごいすごいと言っても、人間の富も力はちっぽけです。神様だけがすべての権威と富を持っておられます。世界は神様の権威の中で動いています。
"主は、御力をもって地を造り、知恵をもって世界を堅く据え、英知をもって天を張られた。
主の御声に、天では水のざわめきが起こる。主は地の果てから雲を上らせ、雨のために稲妻を造り、ご自分の倉から風を出される。
すべての人間は愚かで無知だ。すべての金細工人は、彫像のために恥を見る。その鋳た像は偽りで、その中には息がない。
それは空しいもの、物笑いの種だ。刑罰の時に、それらは滅びる。"
エレミヤ書 51章15~18節
僕らが救われる道はイエス・キリストの愛と憐れみ一択です。今日も、神様はイスラエルを、そして全ての人を救おうと手を差し伸べておられます。
"そして、イスラエルのことをこう言っています。「わたしは終日、手を差し伸べた。不従順で反抗する民に対して。」"
ローマ人への手紙 10章21節
今も神様はイスラエルに対する愛と救いの恵みを忘れていません。イスラエルは今日もやっぱり神様にとって約束の民、神様の長子です。見捨てられたのではないし(ローマ11章)今日も神様はイスラエルが栄光を相続する民として戻ってくることを願っておられます。
"ヤコブの受ける分は、このようなものではない。主は万物を造る方。イスラエルは主のゆずりの民。その御名は万軍の主。"
エレミヤ書 51章19節
そしてまた、イエス様を信じる僕ら日本人も同じように神様の相続人であり、神様の子どもたちです。
いい人だったからではなく、ただ神様の恵みです。ただ感謝しましょう。ただ賛美しましょう。「さあ、私たちはシオンで、私たちの神、主のみわざを語ろう。」(10)僕らに誇るものなど何もありません。ハレルヤ!
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