2025年11月27日木曜日

エレミヤ49.34-39

 エレミヤ49.34-39


どうしようもなくなった時、困り果てた時、力を失った時、お金がなくなった時、僕らは本気で神様に向かいます。それまでは、みんな神様より自分の知恵や力や富で自分を守ろうとしがちだし、国レベルでは、軍事力こそが自分を守ると信仰しがちです。ところが、神様はあえてその軍事力を無力化し、あらゆる苦しみを与えて国を滅ぼします。その目的は「神様だけが私たちを守り生かす方」と知るためです。



"ユダの王ゼデキヤの治世の初めに、エラムについて預言者エレミヤにあった主のことば。

万軍の主はこう言われる。「見よ。わたしはエラムの力の源であるその弓を折る。

わたしは天の四隅から、四方の風をエラムに吹きつけさせ、彼らをこの四方の風で吹き散らす。エラムの散らされた者が入らない国はない。

わたしは、エラムを敵の前に、そのいのちを狙う者たちの前にうろたえさせ、彼らの上にわざわいを、わたしの燃える怒りをその上に下す。──主のことば──わたしは、彼らのうしろに剣を送って、彼らを絶ち滅ぼす。"

エレミヤ書 49章34~37節



滅ぼされたエラムは消えてしまうのではなく、神様ご自身が王として治める国になります。軍事力によらない支配と守りです。



"わたしはエラムにわたしの王座を置き、王や首長たちをそこから滅ぼす。──主のことば──

しかし、終わりの日になると、わたしはエラムを回復させる。──主のことば。」"

エレミヤ書 49章38-39節



神様は軍事力を好まず、神様に信頼し求める人を喜ばれます。聖書は何度もそれを繰り返すし、そのように僕らを変えてくださいます。



"軍馬も勝利の頼みにはならず軍勢の大きさも救いにはならない。

見よ主の目は主を恐れる者に注がれる。主の恵みを待ち望む者に。"

詩篇 33篇17~18節



この神様の原則は個人にも適用されます。自分の力ではどうにもならない苦しみを通して高ぶりや力が失われ、それによって本当に神様だけを求める信仰が回復します。


徹底的に砕かれた後の回復はエレミヤ書で繰り返されているテーマです。「その後、わたしはアンモン人を回復させる。──主のことば。」(49章6節)「しかし終わりの日に、わたしはモアブを回復させる。──主のことば。」(48章47節)「しかし、終わりの日になると、わたしはエラムを回復させる。──主のことば。」」(49章39節)


最近お会いしたアメリカ人の牧師が言ってました。「僕はすぐに肉的なものに頼ってしまうから、あえて神様にだけ頼るために、定期的に断食をしてる」と。僕らはすぐに人間的な力や富や知恵に頼りがちです。いのちも力も神様のものです。神様は苦しみを通して僕らの高ぶりを削ぎ落とされます。

今日与えられている苦しみは、僕らが人間的な依存から離れるためのプロセスです。神様は僕らを苦しめるのではなく、神様にだけ信頼する関係を回復させようとしておられます。ハレルヤ!


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