2026年2月1日日曜日

民数記13.25-14.11「みことばを信じるか、悪い想像を信じるか」礼拝メッセージ

 民数記13.25-14.11「みことばを信じるか、悪い想像を信じるか」


先日召された杉本清子さんが三年前にここで証してくださいました。

「昔、先輩のクリスチャンに祈りましょうと言われて、祈っているときに、神様から、信じて祈ってるのか?と問われた気がしました。その時、口では祈ってはいたけど、信じてはいなかったと思います」

僕はそれを聞いて、自分にも神様から問われたと思いました。信じて祈っているのか。ただ口だけ祈っているだけなのか。神様が言われた通りになると、信じているのかどうか。


イエス様は「あなたの信じた通りになるように」と言われます。また、人が癒やされた時にはイエス様は「あなたの信仰があなたを癒した」ともおっしゃいます。


今日の箇所は、神様がイスラエル人たちに「カナンの土地、素晴らしい肥沃な土地を与える」と約束された後のことです。そのことばを信じるか、悪い想像を信じるか、というテーマでお話しします。


(13章2節)

「人々を遣わして、わたしがイスラエルの子らに与えようとしているカナンの地を偵察させよ。父祖の部族ごとに一人ずつ、族長を遣わさなければならない。」


神様はすでに「イスラエルの子らに与えようとしている」とおっしゃいます。これは今までも何度も約束してくださったことばです。乳と蜜の流れる地に神様が導かれる、というのを検索すると旧約聖書だけでも20カ所以上出てきます。今日は2つだけ紹介します。


"わたしが下って来たのは、エジプトの手から彼らを救い出し、その地から、広く良い地、乳と蜜の流れる地に、カナン人、ヒッタイト人、アモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人のいる場所に、彼らを導き上るためである。"

出エジプト記 3章8節

 

"主があなたに与えると父祖たちに誓った地、乳と蜜の流れる地にあなたを連れて行かれる。

出エジプト記 13章5節


神様が「誓って」与える、つれていく、とおっしゃっています。「乳と蜜の流れる土地」というのは、すごく肥沃で作物が収穫が豊かだし、家畜は増えるし、素晴らしく祝福された土地、ということです。

そこに住まわせるのは、神様が決めたことだし、誓ったことです。誓っても嘘つく人いますけど、神様はどうですか?神様は嘘つきますか?

あとは、聞いた人々、イスラエルの人たちは信じて行動するだけです。それで、「与える」というのは決定事項なので、12人を選んでその土地を偵察に行かせなさい、とおっしゃいます。


(13章18-20節)

その地がどんなであるか、調べてきなさい。そこに住んでいる民が強いか弱いか、少ないか多いか、

また彼らが住んでいる土地はどうか、それが良いか悪いか、彼らが住んでいる町々はどうか、それらは宿営か、それとも城壁の町か、

土地はどうか、それは肥えているか痩せているか、そこには木があるかないか。勇気を出して、その地の果物を取って来なさい。」


その場所が素晴らしいのは、神様はわかっています。でも、みんなにもはっきりとわかるように「そして、勇気を出して、その土地の果物とってきなさい」


(23)

彼らはエシュコルの谷まで来て、そこでぶどうが一房ついた枝を切り取り、二人で棒で担いだ。また、ざくろやいちじくの木からも切り取った。


彼らは帰ってきて報告します。


(27)

彼らはモーセに語った。「私たちは、あなたがお遣わしになった地に行きました。そこには確かに乳と蜜が流れています。そして、これがそこの果物です。


※二人がかりで運ぶ大きな葡萄の房の絵


これは文字通り、以上に肥沃な素晴らしい収穫がある土地のしるしでした。「二人がかりで運ばないと無理なぶどう」は誰が見てもインパクトがあります。見た人たちは、やっぱり素晴らしい神様がおっしゃった通りだ。すばらしいと思います。

ところが、偵察隊は続けます。28節「ただ…」以前の翻訳では「しかし…」です。


(28)

ただ、その地に住む民は力が強く、その町々は城壁があって非常に大きく、そのうえ、そこでアナクの子孫を見ました。


アナク人というのは体が大きい人たちだったようです。

聖書はアナク人のことを「アナク人のように大きくて背が高い民」(申命記2.10)と言います。


土地は素晴らしいんだけど、住んでいる人たちはすごく大きくて怖いです。街は城壁があるし、アナクのような大男の子孫がいし、その地域にはすでに外国人たち先住民が住んでいます。


(29)

アマレク人がネゲブの地方に住んでいて、ヒッタイト人、エブス人、アモリ人が山地に、カナン人が海岸とヨルダンの川岸に住んでいます。」


これ、神様が最初からおっしゃっていた通りの人たちです。その人たが住んでいる土地を与える、と何度も神様が言われてるので、むしろ本来は「神様がおっしゃった通りだった」と思う報告のはずでした。


カナン人、ヒッタイト人、アモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人のいる場所に、彼らを導き上るためである。"

出エジプト記 3章8節


でも、彼らの報告は「こんなに大男がいて、強い人たちが住んでいる土地だからきっと無理」と不安いっぱいで報告します。


恐れとか不安というのは感染症のように広がるようです。

コロナの時、コロナはウイルスの感染だけど、それ以上に不安が広がって、咳してる人がいるだけで恐ろしく思ったり、ニュースを見るほどに恐ろしくなったり、周りが焦ると自分も焦る、ということがあったようです。

ウイルスは見えないけど広まります。同じように不安も恐れも見えないけど危険を過大に評価し、冷静な判断ができなくなることがあります。


素晴らしい土地の報告をするはずの人たちでした。「神様がおっしゃった通りでした!」と報告すべきでした。ところがなぜか彼らは不安と恐れを強調していて、神様の言葉や約束、神様が与えてくださる希望や平安をすっかり忘れて報告します。結果、聞く人たちにも不安と恐怖が感染していき、みんな怖くなっていきました。最初は喜んだんだけど、聞いた人たちの顔は見る見る曇っていきます。


「ちょっとこれ無理じゃない…?」と言う雰囲気が漂ってきたので、神様の約束を忘れてるようなので、立ち上がったのがカレブという人です。カレブは神様のみ心の通りに発言をします。


 (30)

そのとき、カレブがモーセの前で、民を静めて言った。「私たちはぜひとも上って行って、そこを占領しましょう。必ず打ち勝つことができます。


カレブは神様がおっしゃることは「必ずなる」と信じて発言します。神様が「与える」とおっしゃったからです。けど、ところがその言葉を聞いて、人々は逆のスイッチが入ってしまいます。さっきまでは「不安だ」という話だったけど、今度は強く決めつけて「無理だ」と激しく否定するようになりました。神様の御言葉と真反対のこと言い切ります。しかも強く言います。


(31)

しかし、彼と一緒に上って行った者たちは言った。「あの民のところには攻め上れない。あの民は私たちより強い。」


神様は、もともと「与える」と誓っています。「必ず与えるから、まず偵察させなさい」と言ったんです。できる、できない、ではなく、与える、と神様がおっしゃっているのに、行くのは決定事項なのに、彼らは「攻め上れない」と決めつけます。


彼らはますます神様から離れておかしくなっています。さらにこの10人は悪い宣伝を始めます。


(32)

彼らは偵察して来た地について、イスラエルの子らに悪く言いふらして言った。

「私たちが行き巡って偵察した地は、そこに住む者を食い尽くす地で、そこで見た民はみな、背の高い者たちだ


彼らが言いふらす理由は怖いから、やめたいたいからです。本当か嘘かわからない怖い話を次々と言いふらします。


(33)

私たちは、そこでネフィリムを、ネフィリムの末裔アナク人を見た。私たちの目には自分たちがバッタのように見えたし、彼らの目にもそう見えただろう。」


彼らは自分たちが「バッタのよう」だと言いますが、これが妄想なのか、大袈裟に言いふらしてるだけなのか、わかりません。もしかすると、本当にこの当時、何メートルもある大きな人たちがいたのかもしれない。


本当にバッタと人間くらいの大きさの違いがあったかは書いていません。聖書が明らかに書いていることは「悪く言いふらして言った。」です。無理だと決めつけて、食いつくされるんだと思わせるように、群衆を恐怖に落とすように、言いふらしています。悪くイメージするように言っています。


神様は大丈夫、与える、と言っているのに、「無理だ、無理だ、現実は恐ろしいことになる」と不安を煽ります。意図的なフェイクニュースなのか本当にそう思い込んでいるのか、もう訳がわからなくなっています。SNSの時代でないし、週刊誌もないので、人から人へ、こうらしいよ、という噂が広がる時代です。だから話に尾鰭がついて、人々は思い込んで、さらに悪い想像が膨れ上がり、もうすでに自分が殺されるのが決定事項のようになっていきます。結局ここにいた200万人はどうなったでしょう。それが14章です。


(民数 14:1)

すると、全会衆は大声をあげて叫び、民はその夜、泣き明かした。


「叫んだ」とあります。何それ!怖いー!助けてー!わああーー!不安は怒りに変わります。しかも一晩中です。200万人以上の人たちがパニックになっています。

怒りは指導者に向けられます。指導者であるモーセ、アロンに怒りをぶつけます。


(2)

イスラエルの子らはみな、モーセとアロンに不平を言った。全会衆は彼らに言った。「われわれはエジプトの地で死んでいたらよかった。あるいは、この荒野で死んでいたらよかったのだ。


全員、みんな、怖くて、怒りをモーセにアロンにぶつけます。

「殺されるんだ、酷い目に遭うんだ」というのが真実かのように恐れて大声を上げて叫び泣きます。実際はもっと汚い言葉で「おい!貴様!何してくれたんだ!」という怒号だったと思います。

さらに尾鰭がつきます。「妻や子どもらはさらわれる」と言う話です。それはまるで真実のように広がります。怒りはモーセだけでなく、神様への怒りです。


(3)

なぜ主は、われわれをこの地に導いて来て、剣に倒れるようにされるのか。妻や子どもは、かすめ奪われてしまう。エジプトに帰るほうが、われわれにとって良くはないか。」


私たちの本性は悪いことを想像するのが得意なようです。みなさんはどうでしょう。

ある人は、ラインの返事が来ないと、ああもう嫌われた、関係終わった、と思うそうです。

実際は仕事中だから返せなかっただけです。


誰かの到着が10分遅れたら、ああ、きっと事故だ、と想像したりします。悪い想像はどんどん膨らみます。息子が何か悪いことをすると、きっとすごい犯罪を犯して人生がめちゃくちゃになるんだ、ああ、もうこの家は終わった、と想像します。


※風呂上がりのエピソード

先日、長風呂して、クラクラしてきました。それで風呂上がりに「ちょっと目眩するから先に寝るわ」と言って寝ました。僕としてはそれだけなんですが、妻はその夜眠れなくなったそうです。

「このまま夫は死ぬかもしれない。脳梗塞か、心筋梗塞か。」

「死んだらお葬式、斎藤さんしてくれるかな」「これからどうやって生活しよう、引っ越しした方がいいなか」と祈りながら考えて朝まであまり眠れなかったそうです。

朝、僕はぐっすり寝て、爽やかに「おはよう、よく寝たー」と言いました。妻は「よかった、生きててくれた。神様ありがとうございます」と言っていました。


私たちは、心配や悪い出来事を想像して作り上げて恐れることが得意なようです。

だから聖書は「心配してはいけない」「恐れてはいけない」と繰り返します。何度も何度も聖書はそう書いています。「心配事は全て神様に祈って委ねなさい。そうすれば平安が来ます。」ピリピ4章です。「昼も夜も神様の教えを、神様の言葉を思い巡らせなさい。」詩篇1篇です。


それだけ人間は悪いことだけを想像し、神様がよくしてくださった事はすっかり忘れてしまうようです。人間の弱さだと思います。悪い想像力の力はすごく強いです。まるでそれが確定事項のように言い切るし、それは広がります。


悪い妄想を膨らましている時は必ず神様のみことばを忘れています。聖書を思い出したり、神様がしてくださった愛とか数々のめぐみを忘れていることです。

私たち人間は神様の言葉は信じないくせに、悪い想像は信じやすいようです。まだ起っていないストーリー作り出し、それが事実のように怒り、ありもしないことで悲しみ、それ故に人を攻撃することがあります。


イスラエル人たちはこの時、何度も何度も神様がエジプトから脱出させるために神様が大きなことを見てきたはずです。神様が今までよくしてくださった多くの愛と奇跡を見てきたんです。

今も目の前にはハッキリと雲の柱があり、そして火の柱があるのにもかかわらず、目の前に神様が約束してくださった豊かな作物があるのに、だのに、悪い想像が暴走します。


神様から離れたところには悲しみと不安と怒りがあります。神様の言葉から離れると、神様への信仰から離れると平安も喜びも失います。ほとんどが妄想です。

そこで立ち上がったのが、ヨシュアとカレブです


(民数 14:6-9)

6,すると、その地を偵察して来た者のうち、ヌンの子ヨシュアとエフンネの子カレブが、自分たちの衣を引き裂き、

7,イスラエルの全会衆に向かって次のように言った。「私たちが巡り歩いて偵察した地は、すばらしく、良い地だった。


8,もし主が私たちを喜んでおられるなら、私たちをあの地に導き入れ、それを私たちに下さる。あの地は乳と蜜が流れる地だ。

9,ただ、主に背いてはならない。その地の人々を恐れてはならない。彼らは私たちの餌食となる。彼らの守りは、すでに彼らから取り去られている。主が私たちとともにおられるのだ。彼らを恐れてはならない。」


ヨシュアとカレブは必死になって発言した。でも、人々の信仰を立て直すことはできませんでした。人々は逆ギレして、今度は彼らを殺そうと言い出します


(10節)

しかし全会衆は、二人を石で打ち殺そうと言い出した。


真実を語る2人の人が殺されようとしています。そこで介入されたのが、神様ご自身です。


(10節の後半-11節)

すると、主の栄光が会見の天幕から全てのイスラエルの子らに現れた。

主はモーセに言われた。「この民はいつまでわたしを侮るのか。わたしがこの民の間で行ったすべてのしるしにもかかわらず、いつまでわたしを信じようとしないのか。


結局、彼らが神様の言葉を心に留めなかったことで、彼らは祝福を失います。

何度も何度も素晴らしいことをしてくれたことを忘れて従わなかった人たちは、乳と蜜の流れる土地に入れないとおっしゃいます。


(22-23節)

わたしの栄光と、わたしがエジプトとこの荒野で行ったしるしとを見ながら、十度もこのようにわたしを試み、わたしの声に聞き従わなかった者たちは、だれ一人、

わたしが彼らの父祖たちに誓った地を見ることはない。わたしを侮った者たちは、だれ一人、それを見ることはない。


「私たちはそこで殺されるんだ、どうせ無理なんだ」と言った人たちは、その通り、お望み通りにこの荒野で死にました。彼らが決めたことです。彼らが「ここで死んだ方がマシだ」と叫んだ通りになりました。


(29-30節)

29,この荒野におまえたちは、屍をさらす。わたしに不平を言った者で、二十歳以上の、登録され数えられた者たち全員である。

30,エフンネの子カレブと、ヌンの子ヨシュアのほかは、おまえたちを住まわせるとわたしが誓った地に、だれ一人入ることはできない。


ヨシュアとカレブの世代の人たちはみんなその地に入れないことになりました。


●(適用)私たちが心に何を思い描いているか、それが人生に影響します。


僕らは何を信じてるでしょうか。悪い妄想を信じているなら、それなりの行動をします。恐れるから怖いから、という理由でやるのは神様の導きとは真逆です。


反対に、神様の言葉を信じるなら、神様が今までしてくださった愛とか、奇跡とか、癒しとか、良いことを思って感謝しているなら、そこにはいつも平安が喜びがあります。そして神様の言葉の通りに、本当に神様の力が現れます。


(2歴代16:9)

その心がご自分と全く一つになっている人々に御力を現してくださるのです。


自分が信じているように僕らは行動します。神様を信じている人には、神様の力が表されます。

自分から出る悪い想像を信じる人は、そのように行動します。

僕らは悪い想像が得意です。


足りないものを数えてがっかりしたり怯えたりするのが僕らの欠点です。「主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな」と聖書は言います。

イエス様があなたの罪を十字架によってゆるした、きよめた、とおっしゃいます。義とされた、聖なるもの、と行っておられます。あなたは愛する子、喜びの子、と言われています。


僕らがまず求め考え繰り返して思い出すべき言葉は神様の言葉です。神がよくしてくださったことです。

神様がどんな約束を与えてくださっているか、です。


●質問です。

みなさんが今日、あれがないこれがない、ああだからダメだ、こうだから無理だ、と思っていることを一つあげてみましょう。それは神様からの真実でしょうか。それとも自分の妄想でしょうか。


どちらを信じて動いているでしょう。みなさんが今やろうとしていることは、神様の言葉への信頼でしょうか。それとも人が作り出した妄想でしょうか。


恐れて無理だと決めつけた世代、全てが祝福の地に入ることはできなくなりました。彼らが信じた通りになりました。


(2節)

「われわれはエジプトの地で死んでいたらよかった。あるいは、この荒野で死んでいたらよかったのだ。


お望み通りに、信じた通りになりました。


この後、40年その祝福の土地に入れなくなります。彼らが約束の素晴らしい土地に入ったのは40年後です。その間に、この日文句を言った20歳以上の全ての人は死に絶えました

子どもたちも、すぐに祝福の地に入れたのに、7歳の子がその土地に入ったのは47歳になってからです。18歳の子は58歳になってました。そして、20歳以上の人は40年かけてみんな荒野で死に絶えてしまいました。彼らが望んだ通りです。


祝福を不信仰と自分が考え出した悪い想像で失うことがあります。


彼らは真実ではない情報、神様から出てない恐れにによって祝福を失いました。逆に、神様の言葉を聞き続けることは恐れを消し、希望を手にし、力を、喜びを手にします。祝福を手にします。

それは次の世代にも影響します。

僕は25年牧師をやってきて、本当に人々が自分で神様のみことばを毎日読んでほしいと思います。それさえできたら、次の世代が聖書によって祝福されるなら僕の人生はそれで十分です。その人は必ず祝福されます。逆に、イエス様を信じた人でも聖書を読まない人が信仰を失っていく人をたくさん見てきました。


2023年聖書エンゲージメントセンターが発表した、20カ国で8年間の調査をした結果です。8歳から80歳までの10万人以上を追跡調査し、感情的な健康状態や行動を分析しました。 


週に1、2回聖書を読んでも、目に見える効果はほとんどないことがわかりました。しかし、週4回になると、その良い影響は上昇しました。


  • 破壊的な習慣が劇的に減少しました。
  • 幸福感が著しく向上します。
  • 与えること、信仰を共有すること、他者を育てることなどの実践が急増しています


週に4回以上聖書を読む人の望ましくない習慣が大幅に減少しました。


  • 過度の飲酒:↓62%
  • ポルノの閲覧:↓59%
  • 婚外性行為: ↓59%
  • ギャンブル:↓45%
  • 怒りをぶつける:↓31%
  • 食べ過ぎや食べ物の問題: ↓20%
  • お金の不正使用:↓20%


これらみんな、神様から離れた姿です。不安だから飲む、何かで満たされたいからポルノ、不倫、淫らな行為、ギャンブル、不安だから怒り、などです。神様の言葉や愛や約束を祝福を忘れた結果です。ですが、神様の愛の言葉である聖書を読み続ける人は、破滅的なことをしなくて済みます。


感情的な健康が改善しました:


  • 苦々し思い:↓40%
  • 破壊的な考え:↓32%
  • 落ち込み: ↓31%
  • 孤独感:↓30%
  • 不安と恐怖:↓14%


悪い習慣のほとんどは、不安や欠乏感を神様以外で満たされようとする行動です。


「みことばを信じるか、悪い想像を信じるか」これが今日のタイトルです。


(9)

ただ、主に背いてはならない。その地の人々を恐れてはならない。(…中略…)

主が私たちとともにおられるのだ。彼らを恐れてはならない。」


考えてみましょう。


●あなたにとって「その地の人々」とはなんですか?

超えられないと思う恐れはありますか?


●あなたが何かをする時の動機は何が多いか考えてみましょう。


●神様のことばを信頼するなら、あなたの行動はどう変わりますか?

どう変わるか考えてみましょう。


信じて一歩を踏み出しましょう。祈りましょう。


0 件のコメント:

コメントを投稿