2026年3月26日木曜日

ローマ7.14-8.6

 ローマ7.14-8.6


みんな安心したいし、幸せになりたいし、祝福されたいと思います。僕らの中の御霊に従うときに、神様がそうさせてくれます。僕らは弱くても、御霊が助けて神様に従わせてくださいます。



それは、肉に従わず御霊に従って歩む私たちのうちに、律法の要求が満たされるためなのです。"

ローマ人への手紙 8章4節


肉の思いは死ですが、御霊の思いはいのちと平安です。"

ローマ人への手紙 8章6節



神様と人を愛することがどんなに平安と祝福をもたらすかわかっています。…ですが、僕らは完全になりきれません。僕らの中の「罪」は僕ら縛り、引っ張っていきます。そうすると神様からも人からも離れてしまう不幸が待っているのはわかっているのに、したくないのに、憎んでいるのに、です。



"私には、自分のしていることが分かりません。自分がしたいと願うことはせずに、むしろ自分が憎んでいることを行っているからです。

自分のしたくないことを行っているなら、私は律法に同意し、それを良いものと認めていることになります。

ですから、今それを行っているのは、もはや私ではなく、私のうちに住んでいる罪なのです。

私は、自分のうちに、すなわち、自分の肉のうちに善が住んでいないことを知っています。私には良いことをしたいという願いがいつもあるのに、実行できないからです。

私は、したいと願う善を行わないで、したくない悪を行っています。

私が自分でしたくないことをしているなら、それを行っているのは、もはや私ではなく、私のうちに住んでいる罪です。

そういうわけで、善を行いたいと願っている、その私に悪が存在するという原理を、私は見出します。"

ローマ人への手紙 7章15~21節



僕らの中に「異なる律法」があります。それは神様を愛さない、人を愛さない罪ルールです。それがいつも僕らを捕まえ、従わせようとします。



"私のからだには異なる律法があって、それが私の心の律法に対して戦いを挑み、私を、からだにある罪の律法のうちにとりこにしていることが分かるのです。"

ローマ人への手紙 7章23節



わかっているのに、やめたいのに引きずられる僕らはみじめです。



"私は本当にみじめな人間です。だれがこの死のからだから、私を救い出してくれるのでしょうか。"

ローマ人への手紙 7章24節



「御霊に満たされているパウロ」でさえ、まとわりつく罪に引きずられては悩んでいます。だったら僕らはなおさらです。神様を愛する律法ではなく、「異なる律法」が僕らを縛ります。


僕らは何のためにこの体を使うか、毎回問われています。

罪のために使うか、御霊に委ねるか、の二択です。神様か自分か。神様か、欲か。神様の栄光か、自分の栄光か。神様の力か、自分の力か。

今日、もう一度自分を御霊に委ねましょう。本当は、罪なんてしたくないはずだし従う必要はありません。僕らは選べます。御霊に従って歩むことが選べます。どんなに弱い僕らでも御霊が助けてくださいます

罪の縛りから解放してくれるのは、御霊です。「なぜなら、キリスト・イエスにあるいのちの御霊の律法が、罪と死の律法からあなたを解放したからです。」(8.2)

大丈夫です。選べます。みんな安心したいし、幸せになりたいし、祝福されたいと思います。僕らの中の御霊に従うときに、神様がそうさせてくれます。ハレルヤ!



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