2026年8月12日水曜日

JECA高校生サマーキャンプメッセージ② エペソ2.4-5 その大きな愛のゆえに

 僕らのビフォーアフター

そして、すごい身分 ②


エペソ2.4-5

その大きな愛のゆえに


⚫︎文脈の大切さ


聖書を読む時、すごい大事なのは文脈(話の流れ)です。これ日常会話もそう。


彼ってどんな人 うん、いい人だよ

彼って仕事できる人? うん、…いい人だよ


あの先輩歌うますぎる。マジやばい。

あの先輩切れまくって、昨日警察呼ばれた。マジやばい


同じことばでも全然意味が変わります。

「いい人」もいろいろあるし、「マジやばい。」も文脈によって意味が変わってきます。


聖書も同じで、その言葉だけ切り取ったら意味わかんなくなる時があるし、意味がわかるところであっても、話の流れを考えるともっとはっきりとその意味とか雰囲気がわかるようになります。


例えば、ユダが首をつったって聖書の箇所だけ切り取って「首をつった」って書いてあるから自殺もオッケーじゃんて言うのはおかしな解釈。


詩篇14:1「神はいない。」


ここだけ切り取って「聖書に神はいないって書いてあるよ」ってのもおかしいです。

前後読んだら全然違う話です。


詩篇14:1

愚か者は心の中で「神はいない」と言う。彼らは腐っていて忌まわしいことを行う。


文脈大事ですって話。今日読む箇所も昨日の話の流れで読むとよくわかります。


"しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、

背きの中に死んでいた私たちを、キリストとともに生かしてくださいました。あなたがたが救われたのは恵みによるのです。"

エペソ人への手紙 2章4~5節


昨日の話の流れの復習です。

僕らは神様と切れていて、死んでいました。

しかも悪魔にコントロールされていました。それであらゆる欲望に従って、悪魔の言いなりになって動いていたって話です。で、今日の箇所。


「しかし、あわれみ豊かな神」

神様のあわれみってそんな罪人を愛するってことです。


自分ではどうしようもなくなって、自分の欲望に勝てなくなってしまった人。悪魔の言いなりなった人。そんな僕らのことを愛してるっていうのが大きな神様の「あわれみ」です。


「私たちを愛してくださったその大きな愛」も同じ。

クズみたいな生活をしてても、愛してくれました。自分で動けなくても、従えなくても、それでも見捨てることがありませんでした。これが神様の大きな愛です。


「あなたがたが救われたのは恵みによるのです。」

どうしようもなく制御不能になってしまった人を見捨てないでくれている、愛してくれるっていうのが「恵み」です。


⚫︎絵本

命のための命


兄のセバスチャンはイエス様を表しています。

弟ルイスのために命を、身代わりに差し出すほどの愛です。

この弟、酒飲みで、自分の感情をコントロールできなくて、人殺しまでしてしまう弟ルイスの姿は、僕らの姿です。昨日読んだ通りです。


3節

自分の肉の欲のままに生き、肉と心の望むことを行い、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。


「ルイスの姿は僕らの姿です。」って言ったら「ん?ちょっと待って」って思いません?

あんなに僕、酒飲みじゃないし、そんなにキレてないし、モノ壊さないし、人殺ししたことないし、って。どう思いますか?ルイスと僕らは同じっすか?あんなにクズではないと思いませんか?

イエス様に聞いてみましょう。


"しかし、わたしはあなたがたに言います。兄弟に対して怒る者は、だれでもさばきを受けなければなりません。兄弟に『ばか者』と言う者は最高法院でさばかれます。『愚か者』と言う者は火の燃えるゲヘナに投げ込まれます。"

マタイの福音書 5章22節


"兄弟を憎む者はみな、人殺しです。あなたがたが知っているように、だれでも人を殺す者に、永遠のいのちがとどまることはありません。"

ヨハネの手紙 第一 3章15節


殺してないけど、心の中で見下して、バカにして、憎んでいる人は、もう、人殺しと同じ、と神様がおっしゃいます。そして神様の裁きはあります。


神様から見ると、僕らもルイスと同じ罪人です。

他人のことを憎んだり、バカにしたりする人もいるけど、

自分のことを嫌い、自分をバカにする人もいます。

自殺はしてないけど、自分を殺して、自分を傷つけているのは神様から見ると同じ罪です。


昨日の絵本は「ころべばいいのに」思い出してください。


嫌いな人がいて、転べばいいのに。って話でした。

みんな自分のことはどうですか?好きですか?嫌いですか?

自分なんて転べばいいのに、自分なんて死ねばいいのに。

心の中で思っているだけ、かもしれないけど、神様にとって悲しみと怒りをもたらす罪です。

殺人はしてないかもしれないけど、心の中でも殺人をしています。


でも、今日の話はそれでも愛されている、救われる、生かされる、って話です。大丈夫です。


"しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、

背きの中に死んでいた私たちを、キリストとともに生かしてくださいました。あなたがたが救われたのは恵みによるのです。"

エペソ人への手紙 2章4~5節


憎しみやバカにすることだけでなく、性的な罪も同じです。

イエス様はおっしゃいました。


"しかし、わたしはあなたがたに言います。情欲を抱いて女を見る者はだれでも、心の中ですでに姦淫を犯したのです。"

マタイの福音書 5章28節


実行犯じゃなくても、実際にやってなくても、妻じゃない人の裸を妄想して興奮してるなら、それは神様から見たら実際にやってるのと同じ罪です。


昨日も言いましたけどセックスってきよい神様のプレゼントです。良いものです。素晴らしいものです。

性欲って神様が人間に与えた美しくて良いことなんですよ。

男と女が愛し合う。そして心だけじゃなくて体も1つになってくって言うものすごいプレゼント。


僕らは神様に似せて作られました。どこが似てるの?って思いますよね。

すごく似てるところは愛し合う性格、一つになる性格です。


父なる神様と子であるイエス様は一つ。神様と聖霊様は一つ。

神様、イエス様、聖霊が一人の神様です。

そして人間を作った時、おっしゃいました。


創世記1章26-27節

神は仰せられた。

さあ、人をわれわれのかたちとして、われわれの似姿に造ろう。(…中略…)

神のかたちとして人を創造し、男と女に彼らを創造された。


男がいて、女がいて1つになります。霊的にも心も体の1つになります。これは神様に似てるところです。性的な体の関係っていうのはすごく大事な神秘的な美しいことです。


この素晴らしい神様のプレゼントを妻じゃない人に使うとか、僕が妻以外の女性をエロい目で見て誘惑して一緒に寝てっていうのは妻への裏切りであり、神への裏切りです。

「いやそんなことしてません」と皆さん言うかもしれないけど、神様はそのような思いを持って心の中で妄想してるならそれはもうやってるのと同じ、とおっしゃいます。


“しかし、わたしはあなたがたに言います。情欲を抱いて女を見る者はだれでも、心の中ですでに姦淫を犯したのです。"

マタイの福音書 5章28節


若いみんなにはめちゃくちゃ大事なことなので今から祈って判断して欲しいと思います。

Aさんと付き合って体の関係になって別れて、次Bさん、とそうなって、次Cさんとそうなって、それは本当の祝福ではないし、罪です。神様の怒りを受けるべき罪です。


それでも、回復はあります。


"しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、

背きの中に死んでいた私たちを、キリストとともに生かしてくださいました。あなたがたが救われたのは恵みによるのです。"

エペソ人への手紙 2章4~5節


セックスの大切さ、学校も親もあんまりはっきりと教えてくれないと思います。牧師も教えてくれる牧師少ないかも、です。

ちょっと脱線するけど、大事なことなので続けますね。

実は、聖書はめっちゃセックスを喜び楽しめって言ってます。


"あなたの泉を祝福されたものとし、あなたの若いときからの妻と喜び楽しめ。

愛らしい雌鹿、麗しいかもしか。彼女の乳房がいつもあなたを潤すように。あなたはいつも彼女の愛に酔うがよい。

わが子よ。どうしてよその女に夢中になり、見知らぬ女の胸を抱くのか。"

箴言 5章18~20節


水が貴重なイスラエルでは、泉ってのは命をもたらすもの。「いのちのもと」「祝福のもと」って意味です。そしてこれも文脈から性行為のこと、男女の体の交わりを「泉」って言ってることがわかります。

妻の体で潤され、楽しみ、そして命を生み出しなさい、というみことばです。「彼女の乳房がいつもあなたを潤すように」「彼女の愛に酔うがよい。」です。


そしてやっぱり最後は警告です。「どうしてよその女に夢中になり、見知らぬ女の胸を抱くのか。」


僕らには罪があります。僕らみんな神様が怒りを受けるべき罪人です。

正しい人は1人もいない、って聖書は言います。

クリスチャンになってもなおその誘惑に勝てない僕らがいます。何回も失敗するのが僕らです。

僕もいまだに人に言えないことがたくさんあります。

それでも、神様の憐れみと愛は尽きることがありません。


"しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、

背きの中に死んでいた私たちを、キリストとともに生かしてくださいました。あなたがたが救われたのは恵みによるのです。"

エペソ人への手紙 2章4~5節


見放されてません。

神様の愛って温かい、ほんわかした「ラブ」ではなくて血を流して白目を剥いて犠牲になってくれる姿です。神様の怒りと呪いをイエス様が身代わりに命を差し出してくださる。そういう大きすぎる愛です。

それに応えたいから僕らは神様に従いたい、って思います。


女子の皆さん、その体は神様のもの。そしてその体は、その体を楽しみたいと思ってる夫のものです。

男子もそう。その体、性欲はほんとにそれを使って楽しみたいと思ってる、あなたの妻のものです。


失敗しますよ。誘惑もあります。

イエス様血だらけになって見捨てないって言ってくれてます。


100回失敗しても、赦されます。

500回失敗しても見捨てないって言ってくれてるます。


命を捨てるぐらいに愛してます。


祈り


私は(    )のような罪の中にいました。

今も(    )という弱さがあります。

でも、そんな私を愛して、私の代わりに十字架で命を捨ててくださいました。

イエス様、ありがとうございます。


大きすぎるイエス様の十字架の愛に感謝します。

神様の愛に応えて歩みたいです。


私の心も体もイエス様にささげます。

イエス様のお名前によって祈ります。

アーメン。

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