2026年10月20日火曜日

ヨブ5章

 ヨブ5章


ヨブはすべての財産を失い、子どもたちが全員即死し、さらに自分も病気になってもがき苦しんでいました。そんな彼を見て、友人であるエリファズは「ヨブがなんかやらかしたから、こんなバチが当たったんだ」と思っていたようです。その思いは口から出て、どんどんエスカレートしていきます。そして上から目線の攻撃的な説教を浴びせます。

「愚か者がどんなに繁栄し成功しても、突然の災難に見舞われるのだ」「子どもたちが押しつぶされても助け出す者はいない」です。明らかにヨブを名指しで責めています。



"私は愚か者が根を張るのを見て、ただちにその住まいを呪った。 その子たちは安全からはほど遠く、門で押しつぶされても、救い出す者もいない。 愚か者が刈り入れた物は、飢えた人が食べ、茨の中からさえそれを奪う。渇いた人たちが彼らの富をあえぎ求める。 まことに、不幸はちりから出て来ることはなく、労苦は土から生え出ることはない。" ヨブ記 5章3~6節 



さらにエリファズは、まるでヨブが「頭が良かっただけの悪賢い人」みたいに言います。「いくら知恵があっても、悪人は結局不幸になるだけだ」とです。



"神は悪賢い者たちの企みを打ち砕かれ、彼らの手は良い成果を得られない。 神は知恵のある者を、彼ら自身の悪巧みによって捕らえ、彼らのねじれたはかりごとは突然終わる。 彼らは昼間に闇と出会い、真昼でも、夜のように手探りする。" ヨブ記 5章12~14節 



エリファズが言っていることは聖書が言っている「正しいこと」ではあります。例えば「神様は人を訓戒するために懲らしめる」と聖書は教えています。…ですが、「お前は何か悪いことをしたから懲らしめられているんだ」とヨブに当てはめるのは間違っています。なぜなら1章と2章を見ると、ヨブは潔白で、神様を恐れ、悪から遠ざかっている人だ、と神様がおっしゃっているからです。だのに、エリファズはヨブが「神様から叱責されている」と決めつけます。



"ああ、幸いなことよ、神が叱責するその人は。だから、全能者の訓戒を拒んではならない。 神は傷つけるが、その傷を包み、打ち砕くが、御手で癒やしてくださるからだ。" ヨブ記 5章17~18節 



エリファズは正しいことを言いますが、それを「今のヨブ」に適用するのは完全にズレていました。ヨブのことを知らないまま、愛のないまま、理解のないままの説教はヨブをさらに苦しめるだけでした。



"神は、測り知れない大いなることをなし、数えきれない奇しいみわざを行われる。 地の上に雨を降らせ、野の面に水を送られる。 神は低い者を高く上げ、嘆き悲しむ者は安全なところに引き上げられる。 神は悪賢い者たちの企みを打ち砕かれ、彼らの手は良い成果を得られない。 神は知恵のある者を、彼ら自身の悪巧みによって捕らえ、彼らのねじれたはかりごとは突然終わる。 彼らは昼間に闇と出会い、真昼でも、夜のように手探りする。 神は貧しい者を剣から、剣の刃から、強い者の手から救われる。 こうして弱い者は望みを抱き、不正は口をつぐむ。" ヨブ記 5章9~16節



エリファズは「たとえ知恵があっても、高ぶる人は成功しない。愚かだ。」といいます。後でパウロもこの13節を引用して同じことを言っています。そして実は、高ぶって知恵を振りかざしている人はエリファズの側でした。




"だれも自分を欺いてはいけません。あなたがたの中に、自分はこの世で知恵のある者だと思う者がいたら、知恵のある者となるために愚かになりなさい。 なぜなら、この世の知恵は神の御前では愚かだからです。「神は知恵のある者を、彼ら自身の悪巧みによって捕らえる」と書かれており、 また、「主は、知恵のある者の思い計ることがいかに空しいかを、知っておられる」とも書かれています。" 

コリント人への手紙 第一 3章18~20節 



どんなに知恵があって真実を語ることができたとしても、そこに「愛」がないなら、それはただの「やかましいどら」や「うるさいシンバル」です。



"たとえ私が人の異言や御使いの異言で話しても、愛がなければ、騒がしいどらや、うるさいシンバルと同じです。 たとえ私が預言の賜物を持ち、あらゆる奥義とあらゆる知識に通じていても、たとえ山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、私は無に等しいのです。 たとえ私が持っている物のすべてを分け与えても、たとえ私のからだを引き渡して誇ることになっても、愛がなければ、何の役にも立ちません。" 

コリント人への手紙 第一 13章1~3節



愛のないまま、理解のないままのアドバイスや説教は相手を生かすどころか、深く傷つけます。聖書のみことばを正しく語ることはもちろん大事だけど、それ以上に「愛」はもっと大事です。「愛を追い求めなさい」(1コリント14.1)「一切のことを、愛をもって行いなさい」(1コリント16.14)です。


今日の僕らの行動も発言も、自分の知恵とか正しさでなく、聖霊から流れ出る神様の愛から出るものでありますように。


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