2026年10月21日水曜日

ヨブ6章

 ヨブ6章


僕は言葉のうわべだけしか見ない欠点があります。

例えば妻が「あなたは私の話を聞いてくれない。」と言います。

夫は「じゃこれからは毎日30分話を聞けばいいでしょ。」と答えます。


これはうわべしか理解しないコミュニケーションです。

でも、妻が伝えたかったのは「私がどんな気持ちでいるのか、どんなに寂しく悲しかったのわかって欲しい。わかろうとして欲しい」という意味でした。言葉そのものに答えることと、その言葉の背後にある心を理解しようとすることは違います。


ヨブの友人たちはヨブの苦しみを自分の経験や神学で分析して「お前が悪ことをしたから苦しんでいる」といいます。ヨブの願いは「神学的に分析評価してほしい」ではなく「どれほど苦しいのかわかって欲しい」です。ヨブは苦しすぎて、自分の生まれた日を呪いました。(3章)確かに激しい言葉でした。



"ヨブは答えた。

ああ、私の苦悶の重さが量られ、私の破滅が、ともに秤にかけられたらよいのに。

きっと海の砂よりも重いだろう。だから、私のことばは激しかったのだ。"

ヨブ記 6章1~3節



僕らも追い詰められた時、普段なら口にしないような言葉が出てしまうことがあります。

「神様、どうしてこんなことをするんですか」とか「もう生きたくない。死にたい。」とか「何も信じられない」とかです。文字通りに受け取るなら、信仰を失ったかのように見えます。また逆に何も話せなくなってしまう人もいます。ヨブは自分の言葉の激しさは苦しみの大きさだ、と言います。それを理解して欲しいと願っています。



"まことに、全能者の矢が私に刺さり、その毒を私の霊が飲み、神の脅威が私に対して準備されている。

野ろばが若草の上で鳴くだろうか。雄牛が飼葉の上でうなるだろうか。"

ヨブ記 6章4~5節


動物は満たされている時には吠えたりしません。同じように、ヨブは「これほど激しい言葉を口にしているのは、それだけ耐えがたい苦しみの中にいることをわかってほしい」と求めます。


ところが、友人エリファズはヨブに説教します。

ヨブの心が求めているのは「上からの正しいお説教」ではなく、この悲しみと苦しみを共感してもらうことです。理解のないまま責められてしまったらますます孤独になります。の苦しみの中で、神様への信頼まで揺らいでしまうことがあります。



"落胆している者には、友からの友情を。さもないと、全能者への恐れを捨てるだろう。"

ヨブ記 6章14節



友人たちが来てくれた時、最初は自分を癒し潤してくれると思っていました。でもその期待は消えました。まるで裏切られたかのようです。



"兄弟たちは水無し川のように私を裏切った。流れが去る川床のように。

それは氷で黒ずみ、雪で隠される。

炎天のころには、流れがなくなり、暑くなるとその場所から消える。"

ヨブ記 6章15~17節



友人たちはヨブを「風のように」みなします。こんなに苦しんで訴えているのに「真剣に受け止める必要のないもの」のように扱うということです。気持ちや状況を無視して責め立てます。

 


"真っ直ぐなことばは、なんと痛いことか。あなたがたは自分で何を責め立てているのか。

ことばで私を責めるつもりか。絶望している者のことばを、風と見なすつもりか。

あなたがたは、みなしごをくじで分け合い、自分の友さえ売りに出す。"

ヨブ記 6章25~27節



ヨブの苦しみに寄り添わない友人たちは、弱い人を取引に使うかのようです。人間の尊厳や苦しみなどには関わらず、ただ議論の対象にします。「あなたがたは、みなしごをくじで分け合い、自分の友さえ売りに出す。」(27)と嘆きます。


ヨブの願いは「今、ぜひ、私の方に顔を向けてくれ。」です。(28)

自分をきちんと見てほしい、ということです。

単に見て欲しいのでなく「自分の状況や心の苦しみに向き合ってほしい」という願いです。


僕らにも言われています。「落胆している者には、友からの友情を。」(14)です。僕らは相手の言葉を聞いて、すぐに正しい答えで返そうとしがちです。理解のないまま正論をぶつけようとします。もちろん正しい助言は必要です。でも、そこに愛がなければ虚しいと聖書は言います。(1コリント13.1-3)ヨブが求めていたのは友情です。理解しようとしてくれる人です。


人の言葉には、伝えようとしている背後の気持ちや状況があります。僕らは言葉の背後にある悲しみや寂しさや痛みや苦しみに目を向ける必要があります。

苦しんでいる人を見て、すぐに原因を探して評価したり責めたりするのではなく、その心に向き合う者となれますように。「泣く者といっしょに泣きなさい」(ローマ12.15)とあるように、泣く人の友になれますように。聖霊が僕らを満たし、愛と真理の両方に立つものとされますように。





0 件のコメント:

コメントを投稿