誰も神様を見たことはないけども、神様は僕らと近くありたいと願ってくださいます。天上にいる神のひとり子が人間になって地上に来てくだり、人と会話し、人に関わり、一緒に過ごしてくださいました。イエス様はひとり子の神様です。イエス様がしてくださったことを見聞きすることで、僕らは神様を知ることができます。
(14)
ことば(イエス様のこと)は人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。
(18)
いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。
イエス様はこの世界を創った方で、僕らのいのちであり、光です。そしてどんな罪も悪も闇も、イエス様に勝つことはできません。
(3-5)
すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもなかった。
この方にはいのちがあった。このいのちは人の光であった。
光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。
世界があること、僕らが呼吸をして生きていること、全部がイエス様から出ていることです。人間が作ったのではありません。
その創造主であるイエス様は全ての特権を捨てて、普通の人間になって現れてくださいました。
そして今日も僕らに命を、愛を恵みを、良いもの全てを与えてくださっています。昔も、今日も、これからもずっとです。辛いことも含めて僕らは神様の恵みの中にいます。
(16)
私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けた。
偉大な神様が人になって来てくださったように、ヨハネも謙遜に自分に注目されるのでなく、ただ、イエス様だけを指し示し、イエス様のために準備しました。自分はイエス様の靴ひもを解くしもべの値打ちもない、と言います。
(20)
ヨハネはためらうことなく告白し、「私はキリストではありません」と明言した。
(23)
ヨハネは言った。「私は、預言者イザヤが言った、『主の道をまっすぐにせよ、と荒野で叫ぶ者の声』です。」
(27)
その方は私の後に来られる方で、私にはその方の履き物のひもを解く値打ちもありません。」
今日も僕らがイエス様を見上げ、イエス様を考え、イエス様を指し示しながら、自分の役目を誠実に行う1日でありますように。今日もイエス様は一緒にいてくださいます。恵みの上にさらに恵みが注がれています。神様の愛も恵みもそして真実も尽きることがありません。
(17)
律法はモーセによって与えられ、恵みとまことはイエス・キリストによって実現したからである。
0 件のコメント:
コメントを投稿