ヨハネ1.29-34
僕らは問題やトラブル、人の言葉ばかりを気にしてしまいます。でも、聖書はその罪を引き受け、取り除き、きよめてくださるキリストを見なさい、と強調します。
(29)
その翌日、ヨハネは自分の方にイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の子羊。
イエス様は僕らの全ての罪を背負い、黙って殺されていく羊のようになってくださいました。
(1ヨハネ2.2)
この方こそ、私たちの罪のための、いや、私たちの罪だけでなく、世全体の罪のための宥めのささげ物です。
キリストは黙って痛めつけられ、苦しみ、黙って身代わりになってくださいました。この方を「見よ」と聖書は強調します。
(イザヤ53.7)
彼は痛めつけられ、苦しんだ。だが、口を開かない。屠り場に引かれて行く羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。
いくら問題を見つめても解決はありません。でも、聖書はキリストを見よと言います。イエス様は「世の罪を取り除く神の子羊」です。
罵られても罵り返さず、苦しめられても脅さず、黙ってその罪を引き受けてくださいました。今日も解決はキリストにだけあります。人は罪を取り除くことはできません。しかも、このイエス様は僕らに聖霊を与え、浸してくださいます。浸すことを「バプテスマ」と言います。
(ヨハネ1.32-33)
そして、ヨハネはこのように証しした。「御霊が鳩のように天から降って、この方の上にとどまるのを私は見ました。
私自身もこの方を知りませんでした。しかし、水でバプテスマを授けるようにと私を遣わした方が、私に言われました。『御霊が、ある人の上に降って、その上にとどまるのをあなたが見たら、その人こそ、聖霊によってバプテスマを授ける者である。』
聖霊が与えられた人は、新しく生まれた人です。罪のある過去の自分は死んで、霊的に新しくなりました。神様の子どもとなり、義とされ、永遠の命が与えられ、神様の国に一緒に参加する人になりました。
(3.5-6)
イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに言います。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることはできません。肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。
罪を取り除く子羊によって、僕らは聖霊が与えられ新しくされています。もう、この世の闇に振り回される必要はありません。(5)今日もキリストを見上げましょう。罪を取り除いてくださったキリストを「見よ!」と言われています。ハレルヤ!
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