人生の主人公は僕らではなく、神様です。息をするのも心臓が動くのも、考えることができ話すことができるのも、全てが神様からの力だし、愛と恵みです。努力するとしても、その力は主からのものです。自分で生き、自分で人生や家を建てあげようとすることは「むなしい」と聖書は言います。
(1-2)
主が家を建てるのでなければ建てる者の働きはむなしい。主が町を守るのでなければ守る者の見張りはむなしい。
あなたがたが早く起き遅く休み労苦の糧を食べたとしてもそれはむなしい。実に主は愛する者に眠りを与えてくださる。
伴侶が与えられることも、家族が与えられることも、教会という神様の家族に新しく信じる霊的な赤ちゃんが生まれることも、全てが神様のプレゼントです。しかも、それは勇士に与えられる力のように神様から与えられる祝福であり喜びです。
(3-5)
見よ子どもたちは主の賜物胎の実は報酬。
若いときの子どもたちは実に勇士の手にある矢のようだ。
幸いなことよ矢筒をその矢で満たしている人は。彼らは門で敵と論じるとき恥を見ることがない。
僕らのがんばりではなく、神様が今日も僕らの人生を良いものとして作り上げてくださっています。神様が作り上げてくださった一つ一つを数えて感謝しましょう。「主は愛する者に眠りを与えて」くださいます。(2)安心して眠ることができるのは、神様の力と愛の中に守られているからです。今日も安心してゆだねましょう。人生の、家の、教会の所有権を神様にお返ししましょう。ハレルヤ!
0 件のコメント:
コメントを投稿