人に仕えても、何の意味もないのではないか、と感じることがあります。でもイエス様は「それを行うなら、あなたがたは幸いです。」とおっしゃいます。人の目にはムダでも、神様の目には尊く大事なことです
(14-17)
主であり、師であるこのわたしが、あなたがたの足を洗ったのであれば、あなたがたもまた、互いに足を洗い合わなければなりません。
わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、あなたがたに模範を示したのです。
まことに、まことに、あなたがたに言います。しもべは主人にまさらず、遣わされた者は遣わした者にまさりません。
これらのことが分かっているなら、そして、それを行うなら、あなたがたは幸いです。
ただ利用されるだけの時もあるし、傷つけられることさえもあります。イエス様は弟子たちを愛し一緒に生活しました。一緒に食事をすることは一つになることであり、家族のような親密な交わりをすることです。イエス様はそのように愛してきた人から裏切られ、傷つけられ、殺されることになります。
(18)
けれども、聖書に『わたしのパンを食べている者が、わたしに向かって、かかとを上げます』と書いてあることは成就するのです。
人を愛し仕えることは傷つけられ、苦しめられることも含みます。それでもイエス様の前には喜ばれることであり、祝福されることです。「それを行うなら、あなたがたは幸いです。」とイエス様は言ってくださいます。(17)僕らの目には意味がわからなくても、イエス様には喜ばれています。今日、人の前でなく、主に喜ばれる選択をしましょう。人から踏みつけられても、無視され利用されても、主の前です。それは神様の前に喜ばれ、必ず祝福されます。ハレルヤ!
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