2022年12月14日水曜日

ヨハネ13.12-20

 人に仕えても、何の意味もないのではないか、と感じることがあります。でもイエス様は「それを行うなら、あなたがたは幸いです。」とおっしゃいます。人の目にはムダでも、神様の目には尊く大事なことです


(14-17)

主であり、師であるこのわたしが、あなたがたの足を洗ったのであれば、あなたがたもまた、互いに足を洗い合わなければなりません。

わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、あなたがたに模範を示したのです

まことに、まことに、あなたがたに言います。しもべは主人にまさらず、遣わされた者は遣わした者にまさりません。

これらのことが分かっているなら、そして、それを行うなら、あなたがたは幸いです


ただ利用されるだけの時もあるし、傷つけられることさえもあります。イエス様は弟子たちを愛し一緒に生活しました。一緒に食事をすることは一つになることであり、家族のような親密な交わりをすることですイエス様はそのように愛してきた人から裏切られ、傷つけられ、殺されることになります。


(18)

けれども、聖書に『わたしのパンを食べている者が、わたしに向かって、かかとを上げます』と書いてあることは成就するのです


人を愛し仕えることは傷つけられ、苦しめられることも含みます。それでもイエス様の前には喜ばれることであり、祝福されることです。「それを行うなら、あなたがたは幸いです」とイエス様は言ってくださいます。(17)僕らの目には意味がわからなくても、イエス様には喜ばれています。今日、人の前でなく、主に喜ばれる選択をしましょう。人から踏みつけられても、無視され利用されても、主の前です。それは神様の前に喜ばれ、必ず祝福されます。ハレルヤ!

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