ヨハネ13.21-38
サタンは今も活動していて、激しく神様に反抗しますが、それでも神様の権威には勝てません。
しかも、サタンを使ってさえ神様は良いことをなさいます。サタンはイエス様を誘惑しましたが、それも「御霊に導かれて」でした(マタイ4.1)サタンは神様の許可の中だけで動くことができます。ユダの中にサタンが入りイエス様は逮捕され殺されますが、それも神の許可の中であり、それによってご計画は進み、その先にイエス様のご栄光が現されるステップでした。
(27)
ユダがパン切れを受け取ると、そのとき、サタンが彼に入った。すると、イエスは彼に言われた。「あなたがしようとしていることを、すぐしなさい。」
イエス様が裏切られ、苦しめられ殺されることは、全ての人の身代わりとして殺され、人の罪を赦し、復活するという栄光へのステップでした。ユダから裏切られることが確定した時にイエス様はおっしゃいました。
(31-32)
ユダが出て行ったとき、イエスは言われた。「今、人の子(イエス様)は栄光を受け、神も人の子によって栄光をお受けになりました。神が、人の子によって栄光をお受けになったのなら、神も、ご自分で人の子に栄光を与えてくださいます。しかも、すぐに与えてくださいます。
イエス様が人のために犠牲になることは栄光です。神様の愛と栄光は自分が高められることではなく、罪人のために全てを捨ててくださることです。最も高いところにおられた神ご自身が、しもべとして仕える者の姿を取り、弟子たちの足を洗い、裏切られ、実に十字架の死にまでも従われました。これがイエス様の愛であり栄光です。イエス様はおっしゃいます。
(34-35)
わたしはあなたがたに新しい戒めを与えます。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるようになります。」
みんな自分がかわいくて、ちょっとでも嫌になったり、都合が悪くなったりすると愛するのをやめてしまいます。そのように自分から出る愛は頼りなく、すぐに枯渇するものです。人間は自分を捨てる愛を持ち合わせていません。でも、イエス様を信じた人はイエス様と一緒に死に、今はイエス様と一緒に生きると信じます。「もし私たちがキリストとともに死んだのであれば、キリストとともに生きることにもなる、と信じます。」(ローマ6:8)
僕らの中にイエス様がおられます。御霊が注がれています。
僕らも苦しめられ、悪者にされることがあります。でも、それによって他人が守られることがあります。イエス様のために自分を失う人は幸いです。愛することは自分が上に立つことではなく、イエス様と一緒に自分を失って相手に仕えることです。イエス様の愛は注がれています。自分を捨ててイエス様を求めましょう。「それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるようになります。」ハレルヤ!
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