2022年12月14日水曜日

ヨハネ15.1-17

 ヨハネ15.1-17


実を結ぶために余計な枝が切り取られるのと同じように、神様は僕らが実を結ぶために余計なものを削り取られます。

僕らはイエス様につながる木の枝ですイエス様の愛や喜びの実を表すことにもう決まっています。そのために苦しみも通りますが、僕らがより愛と喜びの実を実らせるためのプロセスです


(2-5)

わたしの枝で実を結ばないものはすべて、父がそれを取り除き、実を結ぶものはすべて、もっと多く実を結ぶように、刈り込みをなさいます。あなたがたは、わたしがあなたがたに話したことばによって、すでにきよいのです

わたしにとどまりなさい。わたしもあなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木にとどまっていなければ、自分では実を結ぶことができないのと同じように、あなたがたもわたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。

わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です人がわたしにとどまり、わたしもその人にとどまっているなら、その人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないのです


イエス様につながっているなら必ず実を結びます。「わたしにとどまりなさい」とイエス様は繰り返します。それは実を結ぶからです。実とは僕らが喜びに満ち溢れ、神様と隣人のために自分を捨てて愛することですそれに反するものは神様ご自身が取り除いてくださいます。


(11-12)

わたしの喜びがあなたがたのうちにあり、あなたがたが喜びで満ちあふれるようになるために、わたしはこれらのことをあなたがたに話しました。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです


今日もただイエス様のことばを聞き、イエス様に留まりましょう。枝は自分でがんばってません。同じように、僕らががんばって従ったり実を結ぼうと力むのでなく、気がついたら予想以上に変えられ実を結んでいることに気がつきます。。刈り込みもその苦しみも歓迎しましょう。必ず実ります。ハレルヤ!

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