僕らは「あれがない、これがない」と心配します。でも、イエス様と一緒にいることは全てを満たす方と一緒にいることです。世界一の大富豪よりはるかに全てを持っているイエス様は今日も一緒にいてくださいます。結婚式で出すワインがなくなってしまうことは、お客さんに対して失礼なことでした。主催者側としては大変な状況です。でも、マリヤはイエス様に相談すれば良いことを知っていました。
(1-3)
それから三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があり、そこにイエスの母がいた。イエスも弟子たちも、その婚礼に招かれていた。ぶどう酒がなくなると、母はイエスに向かって「ぶどう酒がありません」と言った。
どんなこともイエス様にホウレンソウ(報告、連絡、相談)です。小さなことも、大きなことも、です。イエス様は僕らが思う以上のことをしてくださいます。マリヤに対してイエス様の答えは一見冷たく見えます。「お母さん」ではなく「女の方」と呼び、「わたしと何の関係がありますか」と言います。家族だから、身内だから助けてあげる、ということではなく、ここでイエス様は自分はマリヤの息子、ではなく、まずは神の子であるし、お母さんが頼んだ時ではなく、神様のタイミングで神様の栄光を現すことを宣言しているようです。それでもイエス様は良いことをしてくださいます。
(4-5)
すると、イエスは母に言われた。「女の方、あなたはわたしと何の関係がありますか。わたしの時はまだ来ていません。」母は給仕の者たちに言った。「あの方が言われることは、何でもしてください。」
マリヤはイエス様の冷たい返事にがっかりしません。「あの方が言われることは、何でもしてください。」と給仕の人たちに言います。
イエス様の言われることはどんなことも正しいし、そのことばに従うことが一番良いことを知っていました。
イエス様にとってはワインがないことは困ったことではありません。世界をことばだけで作った方です。「すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもなかった。」(ヨハネ1.3)とあります。「あれがない、これがない」と心配するのは僕らの側だけの問題です。
(7-11)
イエスは給仕の者たちに言われた。「水がめを水でいっぱいにしなさい。」彼らは水がめを縁までいっぱいにした。イエスは彼らに言われた。「さあ、それを汲んで、宴会の世話役のところに持って行きなさい。」彼らは持って行った。宴会の世話役は、すでにぶどう酒になっていたその水を味見した。汲んだ給仕の者たちはそれがどこから来たのかを知っていたが、世話役は知らなかった。それで、花婿を呼んで、こう言った。「みな、初めに良いぶどう酒を出して、酔いが回ったころに悪いのを出すものだが、あなたは良いぶどう酒を今まで取っておきました。」イエスはこれを最初のしるしとしてガリラヤのカナで行い、ご自分の栄光を現された。それで、弟子たちはイエスを信じた。
一見「なんで水がめに水を?」とか、「なんで水を世話役に持って行くの?」と意味のわからないことをさせられているかのようです。
でも、イエス様が言われたことはいつも完璧です。従うことは最善の結果を産みます。
僕らにとって困ったことは、イエス様に相談してイエス様の指示に従うチャンスです。
不足していること、困っていることは小さなことも大きなことも祈って報告しましょう。イエス様は今日も聖書を通して、御霊によって僕らに指示してくださいます。従うことはイエス様の大きさを知る機会となります。問題はイエス様に頼りイエス様の栄光を見る機会です。
今日もイエス様に求めて歩む1日でありますように。ハレルヤ!
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