2022年12月26日月曜日

使徒の働き25章

 この世に気に入られて上手くいくのがいいのか、神様に喜ばれるのがいいのか、僕らは問われます。

ユダヤ人の祭司長たちは、パウロを有罪とするために裁判で勝つための弁護士を雇い、弁護士は裁判長であるローマの総督フェリクスに気に入られようとします。(ユダヤ人たちはローマの総督が本当は嫌いです。)彼らは本音を隠して総督に媚びへつらいます。求めていることは自分の思い通りにパウロを有罪とすることです


(1-5)

五日後、大祭司アナニアは、数人の長老たち、およびテルティロという弁護士と一緒に下って来て、パウロを総督に告訴した。

パウロが呼び出され、テルティロが訴えを述べ始めた。「フェリクス閣下。閣下のおかげで、私たちはすばらしい平和を享受しております。また、閣下のご配慮により、この国に改革が進行しております。

私たちは、あらゆる面で、また、いたるところでこのことを認め、心から感謝しております。

さて、これ以上ご迷惑をおかけしないために、私たちが手短に申し上げることを、ご寛容をもってお聞きくださるようお願いいたします。

実は、この男はまるで疫病のような人間で、世界中のユダヤ人の間に騒ぎを起こしている者であり、ナザレ人の一派の首謀者であります。


逆に、パウロの願いはこの世に気に入られることではありません。神様の前でも人の前でも責められることのない良心を保つことです。なぜなら、死後に復活して神様の裁きを受けるからですパウロにとって大事な裁判は神様の前での裁判です


(14-16)

ただ、私は閣下の前で、次のことは認めます。私は、彼らが分派と呼んでいるこの道にしたがって、私たちの先祖の神に仕えています。私は、律法にかなうことと、預言者たちの書に書かれていることを、すべて信じています。

また私は、正しい者も正しくない者も復活するという、この人たち自身も抱いている望みを、神に対して抱いています。

そのために、私はいつも、神の前にも人の前にも責められることのない良心を保つように、最善を尽くしています。


パウロは総督フェリクスに対しても神様の審判があることを伝えます。どんな権力者であっても神様の前では罪人です神様からの赦しが必要です


(24-25)

数日後、フェリクスはユダヤ人である妻ドルシラとともにやって来て、パウロを呼び出し、キリスト・イエスに対する信仰について話を聞いた。しかし、パウロが正義と節制と来たるべきさばきについて論じたので、フェリクスは恐ろしくなり、「今は帰ってよい。折を見て、また呼ぶことにする」と言った。


総督フェリクスは神の審判を恐れ、また、これをちゃんと聞くことができなかったようです恐れて話を打ち切りました。イエス様の赦しがわからないと、神の審判は恐ろしいだけですフェリクスはそれでもこの世で支持されることやお金に執着しました。彼はパウロの判決をお金次第で変えることができ、それをチラつかせてパウロに要求していたようです


(26-27)

また同時に、フェリクスにはパウロから金をもらいたい下心があったので、何度もパウロを呼び出して語り合った。

二年が過ぎ、ポルキウス・フェストゥスがフェリクスの後任になった。しかし、フェリクスはユダヤ人たちの機嫌を取ろうとして、パウロを監禁したままにしておいた。


フェリクス総督が願ったのはこの世の権力、人から支持されること、お金でした。神の審判の話を聞いてもこの世に執着したようです

この世でいくら権力を持っても、思い通りになっても神様の審判で有罪なら意味がありません。イエス様は言われました。


(マタイ16.26-27)

人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。(…中略…)その時には、おのおのその行ないに応じて報いをします。


この世に気に入られて上手くいくのがいいのか、神様に喜ばれるのがいいのか、僕らは問われます。永遠に主に喜ばれる方がいいに決まっています。僕らは地上では旅人であり寄留者です。(ヘブル11.3)僕らの人生は神様の前で復活してからが本番です今はその準備段階です今日も神の国とその義を第一に求めましょう。ハレルヤ!(マタイ6.33)

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