ヨハネ4.16-26
イギリスのことわざです。
「一日幸せでいたければ、床屋にいきなさい。
一週間幸せでいたければ、車を買いなさい。
一ヶ月幸せでいたければ、結婚しなさい。
一年幸せでいたければ、家を買いなさい。
一生幸せでいたければ、正直でいなさい。」
イエス様は会話している相手の女の心が渇いていることを知っていました。その人は渇きを満たすために結婚したこと、そして結婚するたびに失望し、何度も離婚してきたことを知っていました。
(16-18)
イエスは彼女に言われた。「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい。」
彼女は答えた。「私には夫がいません。」イエスは言われた。「自分には夫がいない、と言ったのは、そのとおりです。
あなたには夫が五人いましたが、今一緒にいるのは夫ではないのですから。あなたは本当のことを言いました。」
人間は神様と交わり、神様に身も心もささげる時に一番満たされ、潤され、本来の自分らしく生きるように作られています。それが礼拝です。「礼拝」を辞典で調べると、ひれ伏す、口づけする、敬意を表す、という意味です。神様に自分をささげ、神様を愛し、敬い、服従していくなら、そこには虐げられるとか、ガマンさせられるとか、不満になる要素は何もありません。礼拝は神様に喜ばれ、自分も満たされ潤される至福の行為です。
イエス様を信じた人に御霊は与えられています。御霊はその人の内で泉となります。(14)この女性は心が飢え乾きながら、カタチばかりの礼拝を求めていました。イエス様の答えは場所とか形ではなく、御霊と真理に満たされて導かれていくことでした。それが礼拝であり、神様が求め喜んでおられることです。
(19-21)
彼女は言った。「主よ。あなたは預言者だとお見受けします。
私たちの先祖はこの山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムにあると言っています。」
イエスは彼女に言われた。「女の人よ、わたしを信じなさい。この山でもなく、エルサレムでもないところで、あなたがたが父を礼拝する時が来ます。
(23-24)
しかし、まことの礼拝者たちが、御霊と真理によって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はそのような人たちを、ご自分を礼拝する者として求めておられるのです。神は霊ですから、神を礼拝する人は、御霊と真理によって礼拝しなければなりません。」
自分が潤されるために一番求めてることは何でしょうか。答えは床屋でも車でも結婚でも家でもありません。御霊によって潤され、真理のみことばによって僕らにいのちが流れます。神様は霊です。そして「御霊によって生まれた者は霊です。」カタチでなく努力でもなく神様と霊な交わりをしましょう。「父はそのような人たちを、ご自分を礼拝する者として求めておられるのです。」
今日も自分の努力とかカタチとか見える何かでなく、見えない御霊に満たされることを求め、みことばに導かれることを求めましょう。神様との交わりに生きることこそ本当の、そしてなくなることのない永遠の生き方です。ハレルヤ!
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