2022年12月19日月曜日

ネヘミヤ4章

 苦しい時、不安な時、僕らは人の言葉や自分の中から出てくる不安な妄想に振り回されます。

人の言葉も自分の考えも、不安に駆られているのなら神様からの真理ではありません。真理は僕らを自由にします。(ヨハネ8.32)エルサレムの城壁を再建している時、敵は憤慨してユダヤ人たちを嘲りました。しかし、これは真理ではありません。


(1-4)

サンバラテは私たちが城壁を築き直していることを聞くと、怒り、非常に憤慨して、ユダヤ人たちを嘲った。彼はその同胞とサマリアの有力者たちの前で言った。「この哀れなユダヤ人たちは、いったい何をしているのか。あれを修復して、いけにえを献げようというのか。一日で仕上げようというのか。焼けてしまった石を瓦礫の山の中から拾って、生き返らせようというのか。」彼のそばには、アンモン人トビヤがいて、彼も「彼らが築き直している城壁など、狐が一匹上っただけで、その石垣を崩してしまうだろう」と言った。


「人の怒りは、神の義を実現するものではありません。」(ヤコブ1.20)人が怒る時、不安な時、ほとんどは正しくはなく、真理でもなく、歪んだり盛られたりした情報に変えられてしまいます。悪魔は人の怒りや不安が大好物なようですだから悪魔の攻撃には「腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け」なさい、と聖書は教えます。(エペソ6.14)


敵の攻撃に対処するのは自分で反撃することではなく、そのまま神様に報告、連絡、相談をすることです復讐は神様がしてくださいます。ネヘミヤは敵からの嘲りを受けた時、そっくりそのまま神様にホウレンソウしています。


(4-5)

「お聞きください、私たちの神よ。私たちは軽蔑されています。彼らの侮辱を彼ら自身の頭上に返し、彼らが捕囚の地でかすめ奪われるようにしてください。彼らの咎をおおい隠すことなく、彼らの罪を御前から消し去らないでください。彼らが、建て直している者たちを憤慨させたからです。」


神様に祈ることは最強の防御であり攻撃です祈ることは神様との交わりです神様と交わる時に敵は恐れて逃げ去り、僕らは恐れた心、萎れた心ではなく、圧倒的な勝利の神様と一緒にいることの安心感と力が与えられます。ユダヤ人たちは敵の嘲の中でも祈り、力を与えられて工事が進みました。


(6)

こうして私たちは城壁を築き直し、城壁はすべて、その半分の高さまでつなぎ合わされた。民に働く気があったからである。


僕らが向かうべきは神様です敵の情報に振り回されるのではありません。敵はしつこく脅してくるし、僕らも油断すると不安に取り憑かれてしまいます。ネヘミヤはいつも神様に祈る人でした。そして祈っていると僕らの行動が変わります。ネヘミヤは敵の脅しを聞いて祈り、祈るだけでなく、警備を充実させました。


(7-9)

サンバラテ、トビヤ、アラブ人、アンモン人、アシュドデ人たちは、エルサレムの城壁の修復がはかどり、割れ目もふさがり始めたことを聞いたとき、激しく怒り、皆でエルサレムに攻め入って混乱を起こそうと、陰謀を企てた。そこで私たちは、私たちの神に祈り、彼らに備えて昼も夜も見張りを置いた。


ネヘミヤは神に聞いていただいた上で、すぐに働きに戻りました。敵のあざけりを思い巡らしたり、敵に対抗する作戦を考えたりすることはせず、ただ、神様に祈り、神様を信頼しながら与えられた役目を果たしました。

僕らも敵の脅しや人の言葉に動揺し振り回されることがあります。でも、祈りつつ神様の真理に戻りましょう。

恐るべきは神様ただ一人です。神様が戦ってくださいます。信頼してすべきことをしましょう。主の勝利は決定しています。大丈夫です。信頼しましょう。ハレルヤ!

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