苦しみがあると祈りも与えられます。ユダヤ人たちは自分たちの罪によってエルサレムが破壊され、捕囚にされたことによって、悔い改めの祈りが与えられました。
(20-22)
なぜ、いつまでも私たちをお忘れになるのですか。私たちを長い間、捨てておかれるのですか。
主よ、あなたのみもとに帰らせてください。そうすれば、私たちは帰ります。昔のように、私たちの日々を新しくしてください。あなたが本当に、私たちを退け、極みまで私たちを怒っておられるのでなければ。
この祈りは聞かれ、エルサレムは70年後に回復しました。
僕らは苦しみを通して謙遜にさせられ、祈りが与えられ、祈りの中で回復します。このプロセスは大事なことです。苦しみも悔い改めも全てが神様の主権の中にあります。
(19)
主よ。あなたはとこしえに御座に着かれ、あなたの王座は代々に続きます。
イエス様を信じた人は全てが新しくされます。過去の罪、失敗、惨めな出来事は過ぎ去りました。これはイスラエル人にとっても日本人にとっても同じです。僕らはみんな、神様に似せて造られています。悔い改め、神様に戻る時に僕らは変えられ、本来の姿に変わって行きます。「あなたのみもとに帰らせてください。そうすれば、私たちは帰ります。昔のように、私たちの日々を新しくしてください。」祈りは聞かれます。苦しみの中、祈りましょう。悔い改めましょう。全ては神様の似姿に造り替えられるためのものです。ハレルヤ!
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