僕らは「あれがない、これがない」と足りないことばかりを心配します。イエス様の弟子たちもそうでした。
約5000人のお腹を空かせた人たちの前で、わずかな食料があったとしても「それが何になるでしょう。」とあきらめます。でも大丈夫です。イエス様には不足はありません。
(5-9)
イエスは目を上げて、大勢の群衆がご自分の方に来るのを見て、ピリポに言われた。「どこからパンを買って来て、この人たちに食べさせようか。」
イエスがこう言われたのは、ピリポを試すためであり、ご自分が何をしようとしているのかを、知っておられた。
ピリポはイエスに答えた。「一人ひとりが少しずつ取るにしても、二百デナリのパンでは足りません。」
弟子の一人、シモン・ペテロの兄弟アンデレがイエスに言った。
「ここに、大麦のパン五つと、魚二匹を持っている少年がいます。でも、こんなに大勢の人々では、それが何になるでしょう。」
聖書はイエス様はこの世界を造った方です。「造られたもので、この方によらずにできたものは一つもなかった。」(ヨハネ1.3)とあり、今も全ての出来事を支えておられる神様です。僕らに預けられている小さなモノやお金を、力や時間を神様にささげることをイエス様は喜び感謝してくださる方です。イエス様はこの小さなお弁当を感謝の祈りをして人々に分け、人々は充分受け取ることができ、それは余るほどでした。
(11-13)
そうして、イエスはパンを取り、感謝の祈りをささげてから、座っている人たちに分け与えられた。魚も同じようにして、彼らが望むだけ与えられた。
彼らが十分食べたとき、イエスは弟子たちに言われた。「一つも無駄にならないように、余ったパン切れを集めなさい。」
そこで彼らが集めると、大麦のパン五つを食べて余ったパン切れで、十二のかごがいっぱいになった。
今日も神様から預かってるものを神様のために、人々のためにささげましょう。時間がない、お金がない、力がない、と思うのでなく「持っている程度に応じて、それは受納されるのです。」と聖書は言います。(2コリント8.12)少なくても「それが何になるでしょう。」とあきらめるのでなく、自分に与えられてる小さなものを感謝してささげましょう。神様はそれを喜び用いてくださいます。ハレルヤ!
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