ヨハネ6.16-35
イエス様はお腹を空かせた約5000人の人たちにパンと魚を「彼らが望むだけ」タダで分け与えました。そのことで人々は盛り上がり、他の地域からも群衆がイエス様を探し求めて集まってきました。
(23-27)
すると、主が感謝をささげて人々がパンを食べた場所の近くに、ティベリアから小舟が数艘やって来た。
群衆は、イエスも弟子たちもそこにいないことを知ると、自分たちもそれらの小舟に乗り込んで、イエスを捜しにカペナウムに向かった。
そして、湖の反対側でイエスを見つけると、彼らはイエスに言った。「先生、いつここにおいでになったのですか。」
イエスは彼らに答えられた。「まことに、まことに、あなたがたに言います。あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからです。
人々が求めて集まったのは無料食べ放題の食事ゆえでした。それもイエス様からの素晴らしいプレゼントですが、イエス様が与えようとしているのはもっと素晴らしい、永遠に尽きることのない命というプレゼントです。この世で終わってしまう成功とか豊かさではなく、一時的な満腹ではなく、永遠に終わらない神様との交わりです。
(27)
なくなってしまう食べ物のためではなく、いつまでもなくならない、永遠のいのちに至る食べ物のために働きなさい。それは、人の子が与える食べ物です。この人の子に、神である父が証印を押されたのです。」
永遠のいのちに至る食べ物とは、イエス様との交わりです。イエス様は「わたしがいのちのパンです。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。」と言われました。(35)
僕らはこの世の朽ちて行くことのためには多くの時間とエネルギーを費やしますが、霊的いのちのためにはそれほどでもないようです。イエス様は反対に「永遠のいのちに至る食べ物のために働きなさい」とおっしゃいます。飢え渇くことのないイエス様との交わりのために、です。
イエス様との交わりは、永遠に尽きることがない命です。嵐の中でも、怖いことが起こっても、イエス様は「わたしだ。恐れることはない。」と言ってくださいます。(20)
僕らはこの世のことで消耗し恐れ疲れます。状況や人のことばに振り回され、収入や生活のことを心配事の優先事項にします。
でも、イエス様こそ全ての源です。たとえ死んでも、イエス様との交わりは尽きることがない愛と平安の泉です。
イエス様こそいのちのパンです。
今日もなくなってしまうこの世のことにエネルギーを費やし疲れてしまうのでなく、「いつまでもなくならない、永遠のいのちに至る食べ物のために」心を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして過ごしましょう。「わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。」ハレルヤ!
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