イエス様のことばは霊的なものです。なので、聞く僕らに御霊(神様の霊)が与えないと全然意味がわかりません。反対に、御霊が与えられ
ている人、そして御霊に信頼している人にとってはイエス様のことばはいのちそのものであり、すべてを新しくするものです。
(ヨハネ 16:13)
真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます。
(1コリント 2:14-15)
御霊のことは御霊によってわきまえるものだからです。御霊を受けている人は、すべてのことをわきまえます
イエス様と霊的に交わるは霊的ないのちを持つ人です。イエス様との親密な交わりはまるで食べ物のようで、「わたしはいのちのパンです」(ヨハネ6.48)とか「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠のいのちを持っています。」と言われています。(54)
だけど、自分の理解力とか知恵とか経験だけで生きている人にとっては全然意味がわから図、「この人は、どうやって自分の肉を、私たちに与えて食べさせることができるのか」(52)とイラつき、ついには「これはひどい話だ。だれが聞いていられるだろうか。」と言って去って行きました。(60)弟子たちであっても離れて行った人が多くいました。「こういうわけで、弟子たちのうちの多くの者が離れ去り、もはやイエスとともに歩もうとはしなくなった。」と書かれています。(66)
イエス様のことばは霊でありいのちです。
(63)
いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。わたしがあなたがたに話してきたことばは、霊であり、またいのちです。
(65)
『父が与えてくださらないかぎり、だれもわたしのもとに来ることはできない』
イエス様のことばはいのちです。霊です。イエス様のことばに永遠のいのちがあります。自分の経験や計算や知恵には永遠のいのちはありません。ペテロは言いました。「主よ、私たちはだれのところに行けるでしょうか。あなたは、永遠のいのちのことばを持っておられます。
」(68)
今日も自分ではなく、御霊を求め、イエス様を求め、神様を求めましょう。この方こそすべてです。ハレルヤ!
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