ヨハネ7.25-36
僕らはちょっとでも自分たちの立場とかやり方を脅かす人がいたら動揺し、排除しようとしたがります。イエス様の時代のユダヤの指導者たちは、イエス様の動きに敏感でした。あらゆるウワサを集めて危険人物と判断して逮捕しようとします。
(31-32)
群衆のうちにはイエスを信じる人が多くいて、「キリストが来られるとき、この方がなさったよりも多くのしるしを行うだろうか」と言い合った。パリサイ人たちは、群衆がイエスについて、このようなことを小声で話しているのを耳にした。それで祭司長たちとパリサイ人たちは、イエスを捕らえようとして下役たちを遣わした。
祭司長たちの判断材料は群衆が「小声で」話していることです。真実かどうかわかりません。
それでも彼らにとっては脅威であり気に入らない話でした。イエス様は「うわべで人をさばかないで、正しいさばきを行いなさい。」と言われます。(24)彼らは真実を求めることなくイエスを逮捕し殺そうとします。
一方、イエス様は人のことばやウワサで動く方ではありません。イエス様は神様から遣わされた人であり、神様が定めた時に、定められた方法で逮捕され殺され、そして復活して天に昇ることが決まっていました。
(30)
そこで人々はイエスを捕らえようとしたが、だれもイエスに手をかける者はいなかった。イエスの時がまだ来ていなかったからである。
(33-34)
そこで、イエスは言われた。「もう少しの間、わたしはあなたがたとともにいて、それから、わたしを遣わされた方のもとに行きます。
あなたがたはわたしを捜しますが、見つけることはありません。わたしがいるところに来ることはできません。」
今日も神様の主権と真実さは変わりません。人は自分の小さなアタマで判断し、ウワサに動揺しますが、圧倒的な神様の主権の中で歴史は動いてます。今日も身近な一つ一つにムダとか偶然はありません。神様の許可なしには雀の一羽さえ落ちることはないし、髪の毛の状態まで神様はご存知です。(マタイ10.29-30)しかも、全てのことが働いて益とされるために用意されたことです。(ローマ8.28)今日も頑固にならず、自己保身にこだわらず、全てを手放して神様のご計画の中、安心し、信頼し、全てのことを感謝して歩みましょう。ハレルヤ!
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