2022年12月15日木曜日

ヨハネ7.37-39

 神様の願いは全て人間も自然界も全てが回復することです僕らの目に絶対ムリ、と思える絶望も、神様にとっては無理ではなく、むしろイエス様は世界が回復し潤された景色を見ておられるようです。旧約聖書にはその回復の約束が何度も繰り返されています。


(イザヤ44章3-4節)

わたしは潤いのない地に水を注ぎ、乾いたところに豊かな流れを注ぎ、わたしの霊をあなたの子孫に、わたしの祝福をあなたの末裔に注ぐ。

彼らは流れのほとりの柳の木のように、青草の間に芽生える。


神様がおっしゃった回復の水とか流れとは、「わたしの霊」「わたしの祝福」です。そしてイエス様はこの聖書に書かれている水はイエス様を信じることによってその人の奥底から流れ出ると言われます。


(37-39)

さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立ち上がり、大きな声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書(旧約聖書の預言)が言っているとおり、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになります。」イエスは、ご自分を信じる者が受けることになる御霊について、こう言われたのである。


聖書が言っている通りになります。どんなに飢え渇いても、御霊が与えられると潤い、回復します。しかも、御霊は「川」のように流れ出るし、その川の影響は世界を潤し回復させると聖書は言います。


(エゼキエル47章9-12節)

この川が流れて行くどこででも、そこに群がるあらゆる生物は生き、非常に多くの魚がいるようになる。この水が入ると、そこの水が良くなるからである。この川が入るところでは、すべてのものが生きる。(…中略…)川のほとりには、こちら側にもあちら側にも、あらゆる果樹が生長し、その葉も枯れず、実も絶えることがなく、毎月、新しい実をつける。その水が聖所から流れ出ているからである。その実は食物となり、その葉は薬となる。


御霊が僕らを変え、世界を変えます。僕らは御霊の力を小さく思いすぎるようです。今日、渇いているなら幸いです。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。」です。御霊だけが僕らの全てを潤す方です。御霊は「わたしの霊」「わたしの祝福」です。僕らの頑張りとか、知恵とか、工夫ではありません。今日、この方に満たされることを求めましょう。僕らが思う以上の御霊です。約束してくださっています。御霊は必ず全てを回復させてくださいます。ハレルヤ!

0 件のコメント:

コメントを投稿