2023年1月23日月曜日

ヨハネ1.1-11

 ドラえもんの道具に「あらかじめ日記」というのがあります。これに書くとそのことが出来事になる日記で、のび太くんはこれに好き放題書いてみんなを困らせます。


のび太くんとは対照的ですが、神様にも世界が始まる前から「あらかじめ」お考えがありました。神様の意志や考えのことを「ことば」と聖書は書いています。


(1-3節)

初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。

この方は、初めに神とともにおられた。

すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもなかった。


神様と神様のことば(意志)によって世界は作られました。それは完璧で、その「ことば」は僕ら人間にとっていのちであり光です。僕らは神様のことば(意志)によって希望を持って生きるように作られています。どんな闇もこの光に勝つことはできません。


(4-5節)

この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。

光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。


神様はいのちを与え、光を与える方です。ところが、僕ら人間は神様の意志よりも、自分のことばと力で生きたい、と思っています。自分で輝きたい、と思って頑張っています。神様のいのちや光の方が素晴らしいのに、僕らはそれを受け入れようとしないで自分で光ろうとします。


(9-11節)

すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。

この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。この方はご自分のところに来られたのに、ご自分の民はこの方を受け入れなかった。


自分の意志と力だけでもがいているのが僕ら人間です技術が進んで便利になっても、医療が進んで長生きしても、なぜか明るくなれない僕らです。死があり、家族が壊れ、人と人が傷つけあい、一部の人が富を握りしめ、貧しい人はますます飢えていくような世界ですもともとは光といのちに溢れた世界だったのに、僕らは光を忘れて暗闇の中にいるかのようです


それでも、どんなに暗くても、イエス様のいのちと光は闇に負ける方ではありません


(4-5節)

この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。

光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。


イエス様は大人になってから次のように自己紹介しています。


(ヨハネ 8:12)

「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」


どんなに苦しみにあっても、どんな危険に直面しても、神様は今日もいのちであり光ですそれに負けることがありません。

イエス様は、見えない神様のことば(意志)の現れですイエス様ご自身がいのちであり光です


今日も闇がこの世界を覆っています。でも、イエス様は光であり、いのちです。イエス様は闇に勝利しています。イエス様が負けることはありません。イエス様を受け入れることは光を受け入れることであり、いのちを受け入れることであり、神様の意志を受け入れることです

どんな暗闇も僕らに勝つことはできません。なぜなら、イエス様を受け入れた人はいのちと光を持って

いるからです


イエス様は今日も光です。光を受け入れましょう。いのちを受け入れましょう。イエス様こそ僕らのところにきてくだった光です。いのちです救いです。力です。光はやみの中に輝いています。やみはこれに打ち勝つことができません。ハレルヤ!

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