ドラえもんの道具に「あらかじめ日記」というのがあります。これに書くとそのことが出来事になる日記で、のび太くんはこれに好き放題書いてみんなを困らせます。
のび太くんとは対照的ですが、神様にも世界が始まる前から「あらかじめ」お考えがありました。神様の意志や考えのことを「ことば」と聖書は書いています。
(1-3節)
初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
この方は、初めに神とともにおられた。
すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもなかった。
神様と神様のことば(意志)によって世界は作られました。それは完璧で、その「ことば」は僕ら人間にとっていのちであり光です。僕らは神様のことば(意志)によって希望を持って生きるように作られています。どんな闇もこの光に勝つことはできません。
(4-5節)
この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。
光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。
神様はいのちを与え、光を与える方です。ところが、僕ら人間は神様の意志よりも、自分のことばと力で生きたい、と思っています。自分で輝きたい、と思って頑張っています。神様のいのちや光の方が素晴らしいのに、僕らはそれを受け入れようとしないで自分で光ろうとします。
(9-11節)
すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。
この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。この方はご自分のところに来られたのに、ご自分の民はこの方を受け入れなかった。
自分の意志と力だけでもがいているのが僕ら人間です。技術が進んで便利になっても、医療が進んで長生きしても、なぜか明るくなれない僕らです。死があり、家族が壊れ、人と人が傷つけあい、一部の人が富を握りしめ、貧しい人はますます飢えていくような世界です。もともとは光といのちに溢れた世界だったのに、僕らは光を忘れて暗闇の中にいるかのようです。
それでも、どんなに暗くても、イエス様のいのちと光は闇に負ける方ではありません
(4-5節)
この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。
光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。
イエス様は大人になってから次のように自己紹介しています。
(ヨハネ 8:12)
「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」
どんなに苦しみにあっても、どんな危険に直面しても、神様は今日もいのちであり光です。それに負けることがありません。
イエス様は、見えない神様のことば(意志)の現れです。イエス様ご自身がいのちであり光です。
今日も闇がこの世界を覆っています。でも、イエス様は光であり、いのちです。イエス様は闇に勝利しています。イエス様が負けることはありません。イエス様を受け入れることは光を受け入れることであり、いのちを受け入れることであり、神様の意志を受け入れることです。
どんな暗闇も僕らに勝つことはできません。なぜなら、イエス様を受け入れた人はいのちと光を持って
いるからです。
イエス様は今日も光です。光を受け入れましょう。いのちを受け入れましょう。イエス様こそ僕らのところにきてくだった光です。いのちです。救いです。力です。光はやみの中に輝いています。やみはこれに打ち勝つことができません。ハレルヤ!
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