2023年1月24日火曜日

ヘブル人への手紙13.1-17

 天国を目指すことは、苦しい人生で互いに愛し合い、支え合って行くことです。この当時、クリスチャンになったユダヤ人たちは保守的なユダヤ人から迫害されていました。その苦しみの中でこそ、互いに愛し合い、もてなし合い、助け合うようにと教えます。迫害され投獄されている人たちもいました。愛することは相手を自分のことのように大事にすることです僕らは互いに大事にされて苦しみを乗り越えていけます。


(1-3節)

兄弟愛をいつも持っていなさい。旅人をもてなすことを忘れてはいけません。そうすることで、ある人たちは、知らずに御使いたちをもてなしました。牢につながれている人々を、自分も牢にいる気持ちで思いやりなさい。また、自分も肉体を持っているのですから、虐げられている人々を思いやりなさい。


苦しんでいる人、困ってる人を愛し助けることは御使いを愛することにもイエス様を愛することにもなります。イエス様は言われました。「あなたがたは、わたしが空腹であったとき、わたしに食べる物を与え、わたしが渇いていたとき、わたしに飲ませ、わたしが旅人であったとき、わたしに宿を貸し、わたしが裸のとき、わたしに着る物を与え、わたしが病気をしたとき、わたしを見舞い、わたしが牢にいたとき、わたしをたずねてくれたからです。()あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。」(マタイ25.35-40)


迫害があると不安になりますが、神様は「決して見放さないから大丈夫!」と宣言します。不安だからと言ってお金に頼る必要はありません。神様が最後まで一緒だからです今まで多くの信仰の先輩たちが神様のことばを伝えてくれて、その指導者たちは神様だけに頼って人生を終えて行き、今は栄光と祝福に入っています。その先輩たちを見なさい、と言って励ましてくれています。


(5-8節)

金銭を愛する生活をせずに、今持っているもので満足しなさい。主ご自身が「わたしは決してあなたを見放さず、あなたを見捨てない」と言われたからですですから、私たちは確信をもって言います。「主は私の助け手。私は恐れない。 人が私に何ができるだろうか。」

神のことばをあなたがたに話した指導者たちのことを、覚えていなさい。彼らの生き方から生まれたものをよく見て、その信仰に倣いなさい。イエス・キリストは、昨日も今日も、とこしえに変わることがありません。


ユダヤ人のクリスチャンたちは、保守的なユダヤ人たちから迫害されたので「やっぱりユダヤ教の生活に戻ろうかな」という誘惑もあったようですユダヤ教は多くの食物のルールがありました。そのようなルールを守ると救われるよ、という誘惑ですでもそれは間違いです。救いは僕らのがんばりとか、ルールを守ったことには関係ありません。イエス様が僕らを愛し、僕らの代わりに犠牲となって神の怒りを受けてくださり、十字架でエルサレムの門の外で苦しみ、死んでくださったので僕らは救われます。そして、信じた人は今もイエス様と一緒に迫害され、苦しめられます。天国を目指すことは、地上でイエス様と一緒に苦しめられたり辱められたりすることも経験しますが、ゴールは地上ではなく天にあります。迫害を忍耐して敵を愛する人には天の大きな報いが約束されています。


(9-14節)

様々な異なった教えによって迷わされてはいけません。食物の規定によらず、恵みによって心を強くするのは良いことです食物の規定にしたがって歩んでいる者たちは、益を得ませんでした。(…中略…)それでイエスも、ご自分の血によって民を聖なるものとするために、門の外で苦しみを受けられました。ですから私たちは、イエスの辱めを身に負い、宿営の外に出て、みもとに行こうではありませんか。

私たちは、いつまでも続く都をこの地上に持っているのではなく、むしろ来たるべき都を求めているのです


僕らが天国に迎えられるのは、ただイエス様の愛と犠牲によります。だから僕らはイエス様に感謝し、賛美をささげます。そして神様に賛美と感謝することは、隣人を愛し分け合うこととセットです神様を愛することは隣人を愛することです


(15-16節)

それなら、私たちはイエスを通して、賛美のいけにえ、御名をたたえる唇の果実を、絶えず神にささげようではありませんか。善を行うことと、分かち合うことを忘れてはいけません。そのようないけにえを、神は喜ばれるのです


…と言っても僕らは弱いので、信仰はグラつきやすいものですだから神様は僕らに霊的な指導者を与えてくださいました。牧師に任命された人は、その群れの人々のことをいつも神様に祈り、報告し、弁明する責任があります。そして、人々が神様から離れないようにたましいを見張り教える役目があります。牧師は神様に祈り、同時に人々の霊的状況を知り、教え、守る責任者です牧師が教えているのが神様のみことばである限り、僕らは従うべきです


(17節)

あなたがたの指導者たちの言うことを聞き、また服従しなさい。この人たちは神に申し開きをする者として、あなたがたのたましいのために見張りをしているのですですから、この人たちが喜んでそのことをし、嘆きながらすることにならないようにしなさい。そうでないと、あなたがたの益にはならないからです


牧師も弱い人間です。牧師自身も祈られる必要があり、たましいの状況を見張ってくれる牧師が必要です天国を目指すことは、苦しい人生で互いに愛し合い、支え合って行くことです様は「決して見放さないから大丈夫!」と宣言します。そして、それは僕らが互いに愛し、支え、助け合って行く中で実現していきます。今日も助け合い、祈り合いましょう。神様は最後まで見放すことがありません。ハレルヤ!

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