僕らは弱い人間です。神様の助けが必要です。そして時に祈りさえもできないものです。僕ら人間は仲間に「祈られる」必要があります。祈りを必要としない人は誰もいません。自分でも祈るけど、祈ってもらうのはもっと必要です。この著者は指導者であり、正しく教え行動したいと願いつつ、でも、「私たちのために祈ってください」とお願いしています。
(18-19節)
私たちのために祈ってください。私たちは正しい良心を持っていると確信しており、何事についても正しく行動したいと思っているからです。私があなたがたのもとに早く戻れるように、なおいっそう祈ってくださるよう、お願いします。
どんなに偉大な人であっても祈りを必要としています。三浦綾子さんも、マザーテレサもいつも「私のためにも祈ってください」と言っていました。パウロも自分の知恵や力によって神の働きをすることはできないことを自覚してお願いしています。「兄弟たち。私たちの主イエス・キリストによって、また、御霊の愛によって切にお願いします。私のために、私とともに力を尽くして神に祈ってください。」(ローマ15.30)
僕の恩師である舟木信先生は「祈りが本業。牧会は副業」と言って祈っていました。良い指導者は祈りによって支えられ、その働きができると言えます。その人の力ではありません。牧師も弱い人間です。祈られる必要があります。指導者を批判する前に、祈る必要があります。互いのために本気で祈り合うべきです。祈りのために計画や仕事が遅くなっても、何も進まないように見えても大丈夫です。祈りはそれよりも価値があります。祈りこそ神様が私たちの教会に望んでおられることです。祈りましょう。そして祈ってください。
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