僕らはどちらに進んだら損か得かだけで方向を決めたがります。でも、神様の道はそれとは違って、どちらが神様を信頼しているか、どちらが神様と人を愛するか、です。
ダビデはどんなに苦しめられても神様を信頼する方を選び続けた人です。サウル王に何度殺されそうになっても、「私が、主に逆らって、主に油そそがれた方、私の主君に対して、そのようなことをして、手を下すなど、主の前に絶対にできないことだ。彼は主に油そそがれた方だから。」(1サムエル24.6)と言い続け、サウル王に復讐せず、尊重し愛し続けました。
どんなに苦しみがあっても、神様が与えてくださった王を尊重し愛する選択は神様の前に喜ばれ、神様はダビデを救い出してくださいました。王を立てたり、王を廃したりするのは神様だけが権威を持っています。(ダニエル2.21)
サウル王は神様の御手の中で戦死し、その息子イシュ・ボシェテが王となりました。それでもダビデはサウル王の息子イシュ・ボシェテを尊重します。そのイシュ・ボシェテが暗殺されます。暗殺したのはイシュ・ボシェテの部下である2人の隊長(レカブとバアナ)です。彼らはダビデが強くなったのを見て、ダビデに気に入られようとしてイシュ・ボシェテを殺しました。
(5-8節)
ベエロテ人リモンの子のレカブとバアナが、日盛りに、イシュ・ボシェテの家にやって来たが、ちょうどその時、イシュ・ボシェテは昼寝をしていた。彼らは、小麦を取りに家の中まではいり込み、そこで、彼の下腹を突いて殺した。(…中略…)彼らは彼を突き殺して首をはね、その首を持って、一晩中、アラバへの道を歩いた。
彼らはイシュ・ボシェテの首をヘブロンのダビデのもとに持って来て、王に言った。「ご覧ください。これは、あなたのいのちをねらっていたあなたの敵、サウルの子イシュ・ボシェテの首です。主は、きょう、わが主、王のために、サウルとその子孫に復讐されたのです。」
2人の隊長は弱い王イシュ・ボシェテに仕えるよりも強い王ダビデに気に入られる方が得だと思ったようです。あっさり自分の王を裏切り、殺します。これが僕ら人間の罪の現実です。いつも強い人に期待し、強い人に気に入られようとします。神様を無視し、自分の損得、自分の保身、出世だけを考える姿です。神様の願いはそれとは全然違います。ダビデは彼らに責任を問い、彼らを処刑します。
(11-12節)
まして、この悪者どもが、ひとりの正しい人を、その家の中の、しかも寝床の上で殺したときはなおのこと、今、私は彼の血の責任をおまえたちに問い、この地からおまえたちを除き去らないでおられようか。」
ダビデが命じたので、若者たちは彼らを殺し、手、足を切り離した。そして、ヘブロンの池のほとりで木につるした。しかし、イシュ・ボシェテの首は、ヘブロンにあるアブネルの墓に持って行き、そこに葬った。
この世の考えと神様のお考えは全然違います。
神様の願いは僕らがこの世で偉くなることでも強そうな人や出世しそうな人に気に入られることでもありません。神様を信頼し、神様の願いを考え、苦難の中でも神様と人に仕えることです。ダビデはそうやってサウルに支え続け、実際に神様はずっと守り救い出してくださいました。
(9節)
すると、ダビデは、ベエロテ人リモンの子レカブとその兄弟バアナに答えて言った。「私のいのちをあらゆる苦難から救い出してくださった主は生きておられる。
僕らが今日も人に気に入られるのではなく、主により頼みますように。損得でなく、保身でもなく、神様に信頼し神様に喜ばれる道を選びますように。主は今日も生きておられます。主こそ永遠の、しかも全ての権威を持っておられます!
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