2023年1月25日水曜日

イザヤ35章

 今、僕らが知っている自然界は本来の姿ではありません。本来の自然はもっと生き生きと喜んでいるものです

神様が創造した世界は素晴らしい世界でした。(創世記1.31)ところが人間が罪を犯してから、自然界全部が呪われてしまいました。「土地は、あなたのゆえにのろわれてしまった。」とあります。(創世記3.17)今でも十分に自然は美しいのですが、自然は災害をもたらし人間を殺し傷つけます。それは本来の自然ではありません。イエス様が来られる時、もう一度世界を新しくし、本来の良いものに変えてくださいます。

イエス様はもう一度この世界に来られます。その時には自然も人間も新しく変えられます。まず、荒地や砂漠が花を咲かせる土地に変えられます。焼けた土地、痩せた土地が花が咲く美しく潤った土地になります。


(1-2節)

荒野と砂漠は喜び、荒れ地は喜び躍り、サフランのように花を咲かせる。

盛んに花を咲かせ、歓喜して歌う。これに、レバノンの栄光と、カルメルやシャロンの威光が授けられるので、彼らは主の栄光、私たちの神の威光を見る。


まるで土地が喜び踊るように、地が花を咲かせて歌うと書かれています。


(6-7節)

荒野に水が湧き出し、荒れ地に川が流れるからだ。

焼けた地は沢となり、潤いのない地は水の湧くところとなり、ジャッカルが伏したねぐらは葦やパピルスの茂みとなる。


自然界だけでなく人間も本来の姿に変えられます。今の僕らには病気があり、死があります。ところが、イエス様がもう一度来られた時には、人間は完全な姿に変えられます。それは神様に似せて作られた人間の姿です目の見えない人が見えるようになり、耳の聞こえない人が聞こえるようになります。足のなえた人、動かない人も、鹿のようにとびはね、口のきけない人の舌は喜び歌うようになるのです


(5-6節)

そのとき、目の見えない者の目は開かれ、耳の聞こえない者の耳は開けられる。

そのとき、足の萎えた者は鹿のように飛び跳ね、口のきけない者の舌は喜び歌う。


イエス様が最初にこの地上に来られた約2000年前に、それを少しだけ体験させてくださいました。イエス様によって多くの盲人は癒され、歩けない人が歩けるようになりました。それは、やがて世界をご支配なされる様子を予告編のように見せてくださったからですイエス様がもう一度地上に来らた時の世界を神の国とか、御国とか王国と言います。イエス様はエルサレム(シオン)で世界を支配なさいます。イエス様のものとなった人たちは喜んでエルサレムに行ってイエス様と会います。そのための道ができることが預言されています。


(8-10節)

そこに大路があり、その道は「聖なる道」と呼ばれる。汚れた者はそこを通れない。これは、その道を行く者たちのもの。そこを愚か者がさまようことはない。

そこには獅子もおらず、猛獣もそこに上って来ることはなく、そこには何も見つからない。贖われた者たちだけがそこを歩む。

主に贖われた者たちは帰って来る。彼らは喜び歌いながらシオンに入り、その頭にはとこしえの喜びを戴く。楽しみと喜びがついて来て、悲しみと嘆きは逃げ去る。


今、僕らの世界には自然災害があり、悲しみがあり病があり死があります。でも、それは過ぎ去り、喜びの歌が満ち溢れる世界がきます。だから、今どんなに大変でも恐るな、強くあれ、と聖書は僕らを励ましています。


(3-4節)

弱った手を強め、よろめく膝をしっかりさせよ。

心騒ぐ者たちに言え。「強くあれ。恐れるな。見よ。あなたがたの神が、復讐が、神の報いがやって来る。神は来て、あなたがたを救われる。」


今、何もない荒野に見えても、苦しみだらけの人生だとしても、希望があります。将来の希望は僕らを励ましてくれます。

僕らの人生には心配がつきものですが、聖書は心配するな、と繰り返します。罪は消え去り、呪いは消え、全ては喜びに変えられます。忍耐とは、やせ我慢ではありません。忍耐とは希望を信じて楽しみに待つことです将来の祝福に比べれば今の苦しみは小さいものです。(ローマ8.18)

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