悪魔の攻撃は今もあります。そしてそれに立ち向かう方法が聖書に書かれています。悪魔の攻撃から守られる方法は「神様のことばに」耳を傾ける」ことです。悪魔の攻撃も「ことば」です。「ことば」によって不安にさせ、絶望させ、そして、悪魔に従わせようとします。今日の箇所はエルサレムのヒゼキヤ王に敵が脅し、不安にさせようと「ことば」で語りかけるところです。敵の背後にいる悪魔がどのように「ことば」を使って攻撃してくるか、その手口がわかります。
(4-5節)
ラブ・シャケ(敵であるアッシリヤの将軍)は彼らに言った。「ヒゼキヤに伝えよ。大王、アッシリアの王がこう言っておられる。『いったい、おまえは何に拠り頼んでいるのか。口先だけのことばが、戦略であり戦力だと言うのか。今おまえは、だれに拠り頼んでいるのか。私に反逆しているが。
ヒゼキヤという王様は神様だけに頼り、神様に従おうとした信仰者です。ですが、敵は「それは口先だけだ」と言います。神様とか信仰とかいうけど、実際に力があるのはむしろ軍事力であって、「神様に頼る」なんて口先の意味のないことだ、と攻撃します。
(6-7節)
おまえは、あの傷んだ葦の杖、エジプトに拠り頼んでいるが、それは、それに寄りかかる者の手を刺し貫くだけだ。エジプトの王ファラオは、すべて彼に拠り頼む者にそうするのだ。おまえは私に「われわれは、われわれの神、主に拠り頼む」と言う。
ヒゼキヤという王様は「神様だけ」と言いつつ、エジプトに助けを求めたことがありました。
敵はそのような恥ずかしい罪や失敗を見つけては大声で攻撃してきます。「おまえは…エジプトに拠り頼んでいる」と指摘します。敵は僕らの欠点や恥や間違いが大好きです。そこを大声で攻撃してきます。また、エジプトに頼っても助けにならないのも事実です。
過去の恥や罪を持ち出して、敵は脅します。お前は罪があるから、神様はあなたを滅ぼす、と。
ここまで言われると、本当に神様が攻撃してくるような気がしてきます。これが敵である悪魔の上手な「ことば」です。
敵はいつも僕らの弱さや恥を持ち出します。僕らを不安にさせるプロです。
(10節)
今、私がこの国を滅ぼすために上って来たのは、主を差し置いてのことであろうか。主が私に「この国に攻め上って、これを滅ぼせ」と言われたのだ。』」
この時、エルサレムには兵力がほとんどありませんでした。それを知って、敵は「もし2000人の騎兵がいるなら2000頭の軍馬を与えよう」と言います。これはエルサレムにはほとんど力が残っていないことをバカにしていることばです。
(8-9節)
さあ今、私の主君、アッシリアの王と賭けをしないか。もし、おまえのほうで乗り手をそろえることができるのなら、おまえに二千頭の馬を与えよう。おまえは戦車と騎兵のことでエジプトに拠り頼んでいるが、私の主君の最も小さい家来である総督一人さえ追い返せないのだ。
敵は本当に賢いです。本当のことを言って僕らを脅します。でもそこには嘘が混じっています。主がこの国を滅ぼせと言った、というのはウソです。敵の攻撃は巧妙です。事実が混じっているので人は悪魔の言葉を信じ、引きずられていき、絶望したり、悪のいいなりになることがあります。「ことば」を上手に使って信頼させ、僕らを苦しめるのが悪魔の手口です。
敵の告発は当たっています。ですが、①罪を取り上げて脅すことと、②罪を示して悔い改めさせ、赦しと回復の福音に導くことは全然違います。悪魔は①、イエス様は②です。
僕らがダマされるのは「あなたは、このような罪を犯した。もう救われることはできない。神はもともと、あなたを滅びに定めたのだ。」という言葉です。これは悪魔の言葉です。神様の言葉ではありません。
さらに敵はご褒美を約束します。私に降参するなら、良い生活、良い収穫を与えるよ、と保証します。
不安をあおっておいて、最後に救いを約束します。ですが、これは完全にウソです。
(13-17節)
ラブ・シャケは突っ立って、ユダのことばで大声で叫んだ。「大王、アッシリアの王のことばを聞け。
王はこう言っておられる。『ヒゼキヤにごまかされるな。あれは、おまえたちを救い出すことができないからだ。
ヒゼキヤは、「主が必ずわれわれを救い出してくださる。この都は決してアッシリアの王の手に渡されることはない」と言って、おまえたちに主を信頼させようとするが、そうはさせない。』
ヒゼキヤの言うことを聞くな。アッシリアの王がこう言っておられるからだ。『私と和を結び、私に降伏せよ。そうすれば、おまえたちはみな、自分のぶどうと自分のいちじくを食べ、自分の井戸の水を飲めるようになる。
その後私は来て、おまえたちの国と同じような国におまえたちを連れて行く。そこは穀物と新しいぶどう酒の地、パンとぶどう畑の地である。
詐欺の手口は今も不安をあおって、最後にあなたの味方だよ、というものです。私に降伏しないなら「自分の糞を食らい、自分の尿を飲むようになる」(12節)と不安をあおって、神に従わず私に従うならそんなに苦しまなくて済むよ、豊かな食べ物と生活が保証されているよ、と誘惑します。これは完全にウソです。悪に従う選択が僕らを祝福することはありません。
悪魔は僕らよりもずっと賢いです。彼らは「ことば」で攻撃してきます。
でも、僕らにはその手口と対策がはっきりと教えられています。悪魔の攻撃には立ち向かうことができます。それは僕らの力やことばではなく、神様の武具によります。
(エペソ 6:11-15)
悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。(…中略…)では、しっかりと立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、足には平和の福音の備えをはきなさい。
大切なのは、「真理の帯」です。ウソのことばではなく、真理のことばです。真理とはイエス様のことばです。敵はウソを混ぜてきますが、イエス様のことばは真理です。見抜くためには、イエス様のことばをいつも体に帯のように巻きつけるようにしていれば大丈夫です。
僕らが混乱させられるのはいつも「人間のことば」を通してです。
あの先生がこう言った、あの人はこう言った、と振り回されます。僕らが聞くべきは神様の聖なることばです。どんな頭の良い人のことばでも神様のことばではありません。人のことばは尊敬し、よく聞き、自分より優れていると思うべきですが、同時にそれは神のことばではありません。神様のことばをいつも体に巻きつけるようにしていれば大丈夫です。ウソは見抜けます。
「正義の胸当て」とは、自分の正しさではなく、神様が義と認めてくださった、という恵みです。
真理とは福音です。罪はイエス様に告白して赦されます。イエス様が僕らを完全に無罪と宣言してくださっています。これが神様がくださる正義であり福音です。これを胸当てとしてつけ、足にはきなさい、と聖書は言います。
(ローマ 3:24)
ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。
今日も真理のことば、福音のことばが僕らを敵から守ってくださいます。
悪魔には勝てます。イエス様はもう勝っています。そのイエス様のことばをいつも求めましょう。敵は賢いけども、僕らは勝てます。僕らが神様のことばに従うことは勝利です。敵は逃げていきます。
(ヤコブ 4:7)
神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。
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