暗闇の中、絶望の中にいる人はイエス様のことばを聞きなさい、と聖書は言います。イエス様のことばを聞くことは、闇の中で光を持つようです。イエス様のことばは人を癒し、励ます力のあることばです。
(10節)
あなたがたのうちで主を恐れ、主のしもべ(イエス様)の声に聞き従うのはだれか。闇の中を歩くのに光を持たない人は、主の御名に信頼し、自分の神に拠り頼め。
イエス様のことばは疲れた人を励まし、命を与えます。そのことばは神様から与えられたことばです。(ヨハネ7.16)イエス様は神様のみ子であり、神様ご自身です。そのイエス様は毎朝暗いうちに起きて、誰もいない所に出て行き、父である神様のことばを頂いていました。この箇所に出てくる「私」とはイエス様のことです。
(4節)
神である主は、私に弟子の舌を与え、疲れた者をことばで励ますことを教え、朝ごとに私を呼び覚まし、私の耳を呼び覚まして、私が弟子として聞くようにされる。
疲れた者を励ますことばとは、たとえ世界中の人が「お前が悪い」と言っても、「あなたの罪は赦された、神様はあなたを責めない」と宣言してくださることばです。このことばは疲れた人に力を与え、癒し、立ち上がらせます。このことばは僕らも毎朝聞く必要があります。また、僕らも絶望している多くの人たちに伝える役目があります。
(8-9節)
私を義とする方が近くにいてくださる。だれが私と争うのか。さあ、ともに立とう。だれが私をさばく者となるのか。私のところに出て来るがよい。見よ。神である主が私を助けてくださる。だれが私を不義に定めるのか。
「福音」は「あなたは侮辱されない、あなたは無罪になった、神様はあなたを裁かない」という約束です。この福音こそが人を生かし励ますことばです。疲れた人に必要なのは愛と赦しの福音です。
イエス様ご自身も神様から助けがあることを確信していました。なので人から侮辱され、ツバをかけられ、鞭で打たれることから逃げず、それを受けました。神様の助けと勝利を信頼していたからです。
(5-7節)
私は逆らわず、うしろに退きもせず、
打つ者に背中を任せ、ひげを抜く者に頬を任せ、侮辱されても、唾をかけられても、顔を隠さなかった。
しかし、神である主は私を助けてくださる。それゆえ、私は侮辱されることがない。それゆえ、私は顔を火打石のようにして(決心して与えられた任務をやり遂げること)自分が恥を見ないことを知っている。
他人が僕らを罵っても、神様は僕らを守ってくださるし、僕らは恥を見ることなく、神様に裁かれません。忍耐とは、この希望のことばを聞き続けることです。福音を聞く人は希望を持ちます。反対に、自分の力だけで乗り越えられると思う人は「燃えさしを持つ人」だと言います。間もなく消えていく光だし、その人は結局苦しみの中で倒れてしまう、という意味です。
(11節)
見よ。あなたがたはみな、火をともし、燃えさしを身に帯びている。あなたがたは自分たちの火の明かりを持ち、火をつけた燃えさしを持って歩くがよい。このことは、わたしの手によってあなたがたに起こり、あなたがたは苦悶の場所で伏し倒れる。
絶望の中にいる人はイエス様のことばを聞きなさい、と聖書は言います。みんなが自分を責めても、自分で自分を責めても神様は「あなたの罪は赦された、神様はあなたを責めない」と宣言してくださっています。神様は疲れた人を励まし、癒し、立ち上がらせます。僕らも聞く必要があります。そして絶望している多くの人たちに伝える役目があります。
聞く人は生きます。聞く人は力を得ます。今日も僕らが命のことばを聞き、思い巡らし、励まされる日でありますように!
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