クリスチャンの将来は栄光と美しさに満ちています。しかも、それが人間の本来の姿です。聖書の何箇所にもそう書いてあります。
「私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。」(ピリピ3.16)
「あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった…」(1ペテロ5.10)
「しみや、しわや、そのようなものの何一つない、聖く傷のないものとなった栄光の教会を、ご自分の前に立たせるためです。」(エペソ5.27)
「やがて現われる栄光にあずかる者…」(1ペテロ5.1)
「今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。」(ローマ8.18)
「聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか…」(エペソ1.18)
「神が多くの子たちを栄光に導く…」(ヘブル2.10)
他にもまだまだそのような箇所があります。ところが、この世で人から悪く言われ続けたり、悪い状況が続くとそれを忘れ、自分が価値のない人間かのように思うことがあります。エルサレムの人たちは外国に踏みにじられ続けることで「自分はクズ」と思ってしまったようです。神様はそんな彼らに呼びかけます。
(1-2節)
目覚めよ、目覚めよ。力をまとえ、シオン(エルサレムのこと)よ。あなたの美しい衣をまとえ、聖なる都エルサレムよ。(…中略…)ちりを払い落として立ち上がり、元の座に着け、エルサレムよ。あなたの首からかせを振りほどけ、捕らわれの女、娘シオンよ。
エルサレムの人たちは神様に選ばれ愛されている美しい人たちです。今は奴隷の服を着せられ、自分もそのような人間だと思い込んでしまっています。神様は「あなたの美しい衣をまとえ」「元の座につけ」とおっしゃいます。
神様は今の姿ではなく、本来の栄光の姿に回復することをすでに見ておられます。神様は廃墟だったところが喜びと楽しみの歌で満ちている姿をもう見ておられます。
(8-9節)
あなたの見張りの声がする。彼らは声を張り上げ、ともに喜び歌っている。彼らは、主がシオンに戻られるのを目の当たりにするからだ。
エルサレムの廃墟よ、ともに大声をあげて喜び歌え。主がその民を慰め、エルサレムを贖われたからだ。
イエス様はこのように平和と喜びに満ちた世界を回復させてくださいます。そして僕らは今からこの良い知らせを多くの人に伝える役目があります。
(7節)
良い知らせを伝える人の足は、山々の上にあって、なんと美しいことか。平和を告げ知らせ、幸いな良い知らせを伝え、救いを告げ知らせ、「あなたの神は王であられる」とシオンに言う人の足は。
今、ボロボロでも回復します。どんなに汚れても赦されます。僕らが伝えるのは裁きでなく、平和、赦し、救い、回復です。どんな人でも大丈夫です。イエス様はそのために十字架で犠牲になってくださり、その赦しときよめは完璧です。
絶望や不安感は僕らの王様ではありません。今の現実も王様ではありません。神様は今日も僕らに「目覚めよ、目覚めよ。」と言われます。僕らが今日も希望に目覚め、喜びに目覚めますように!
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