神様は僕らを慰め、癒し、生かし、平安を与えようとしておられます。そのために罪を指摘して責めます。責めるのは高ぶりが砕かれるためです。神様に謝って砕かれた人は慰められ、生かされ、癒されます。
(15-19節)
いと高くあがめられ、永遠の住まいに住み、その名が聖である方が、こう仰せられる。「わたしは、高く聖なる所に住み、砕かれた人、へりくだった人とともに住む。へりくだった人たちの霊を生かし、砕かれた人たちの心を生かすためである。
わたしは、永遠に争うことはなく、いつまでも怒ってはいない。わたしから出た霊が衰え果てるからだ。わたしが造ったいのちの息が。
彼の不正な利得の咎のために、わたしは怒った。わたしは顔を隠して彼を打ち、そして怒った。しかし彼はなお背いて、自分の思う道を行った。彼の道を見たが、それでもわたしは彼を癒やす。わたしは彼を導いて、彼とその嘆き悲しむ者たちに、慰めを報いる。
わたしは唇の実を創造する者。平安あれ。遠くの者にも近くの者にも平安あれ。わたしは彼を癒やす。
神様は僕らを慰めたいと願っておられます。「罪のままでいいよ」「みんなやってるよ」と言うなら癒しがありません。神様は僕らの罪の現実を突きつけます。罪を暴くのは癒しと平安のためです。
神様はまやかしの教え、嘘を指摘します。この当時は偶像礼拝と淫行が美徳とされていました。親から子どもへと淫行と偶像礼拝が受け継がれて行きます。親は嘘を次の世代に伝えています。この時代、どこでも誰とでも寝ることが偶像礼拝になっていました。その結果、生まれた赤ちゃんは殺していました。この恐ろしい宗教は現代も蔓延しています。誰と寝てもOK、妊娠したら子どもを殺す宗教です。
(3-5節)
しかし、あなたがた、女卜者の子ら、姦夫と遊女の子孫よ。ここに近寄れ。
あなたがたは、だれをからかい、だれに向かって口を大きく開き、舌を出すのか。あなたがたは背きの子、偽りの末裔ではないか。
あなたがたは、樫の木の間や、青々と茂るあらゆる木の下で、身を焦がし、谷や、岩の裂け目で子どもを屠っているではないか。
今も、誰もそれがダメだと教えません。家でも学校でも誰と寝てもOKと教え、妊娠したら殺すように教え、まるで宗教のようにみんながそれに従っています。その結果、社会全体が傷つき、家庭や結婚制度は壊れ、心は傷つき暗闇の中をもがいています。この教えは人を不幸にする嘘です。まやかしです。ところが、周りを恐れて誰もこれに反対しません。神様は今日も僕らに呼びかけています。人を恐れる必要はありません。神様は罪を指摘します。それは僕らが砕かれて癒されるためです。
(7-8節)
そびえる高い山の上に、あなたは寝床を設け、そこにも上って行って、いけにえを献げた。
あなたは、扉と柱のうしろに、自分を記念する像を置いた。あなたはわたしを捨てて裸になり、そこに上って自分の寝床を広げ、彼らと契りを結び、彼らの寝床を愛し、彼らの象徴物を見た。
(11節)
あなたは、だれにおじけ、だれを恐れて、まやかしを言うのか。あなたはわたしのことを思い出さず、心にも留めなかった。わたしが久しく黙っていたので、わたしを恐れないのではないか。
今も日本だけで年間100万人くらいの赤ちゃんが殺されていると言われています。
3.11東日本大震災とは比べものにならないほどの人が死んでいっています。そしてそれを誰も問題にしません。
当時の淫行と赤ちゃん殺しを指摘しないのは、当時の指導者、牧会者の責任だと聖書は言います。人々を見張り、人々を罪から守るように任されているのに、牧会者はまるで羊を見殺しにする羊飼いのように神様のことばを伝えず、口が聞けなくなっている、と指摘します。
(イザヤ56.10-11)
神の見張り人は目が見えず、みな何も知らない。彼らはみな口のきけない犬、ほえることもできない。あえいで、横になり、眠りを貪る。
この犬どもは貪欲で、足ることを知らない。彼らは牧者なのに、悟ることがない。だれもがみな、自分勝手な道に向かって行く。一人残らず、自分の利得に。
愛することは、神様のメッセージをちゃんと伝えることです。
嘘の教えは苦しみから救ってくれません。自分を幸せにしてくれると思った淫行も偶像も自分を救いません。それは意味のないゴミになってしまいます。
(13節)
あなたが叫ぶとき、あなたが集めたものどもに、あなたを救わせよ。風が、それらをみな運び去り、もやがそれらを連れ去ってしまう。
神様が罪を指摘する理由は、へりくだって神様に帰るためです。砕かれる人は癒されます。
(15-16節)
いと高くあがめられ、永遠の住まいに住み、その名が聖である方が、こう仰せられる。「わたしは、高く聖なる所に住み、砕かれた人、へりくだった人とともに住む。へりくだった人たちの霊を生かし、砕かれた人たちの心を生かすためである。
わたしは、永遠に争うことはなく、いつまでも怒ってはいない。
「このままでいい」「みんなやってる」という人は癒されません。
逆に、「自分はひどい罪をしました」「ごめんなさい」という人は癒されます。神様の願いは僕らを癒すこと、安心させること、命を与えることです。神様は愛するために罪を指摘します。謝りましょう。必ず癒されます。大丈夫です。
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